第一次世界大戦に先立つ世紀転換期は、大都市の音楽生活がほぼ現代の形に整えられた時代である。人口急増に伴ってコンサーホールが次々に建てられ、例えば1900年のウィーンでは1870年の四倍もの演奏会が開かれるようになっていた。このように娯楽産業化された音楽生活は、第一次世界大戦によって根底から覆される。1914年8月の戦争勃発当初、ドイツ/オーストリアでは予定されていた演奏会は全面的に中止になる。それは非常時にあっての「自粛」であり、演奏家の出兵による人員不足、そして鉄道網の遮断による演奏家の「流通」の停滞によるものであった。しかしながら翌1915年あたりから、ドイツ語圏のコンサートライフは目覚しい復興を見せ始める。ただし戦前に戻ったのではない。むしろ人々は、非常時にあってなお音楽が不可欠であることを強く意識し、生活の中の新しい音楽のありようを模索し始めたのである。 かくして第一次世界大戦中に、ドイツやオーストリアで盛んに催されるようになったのが、慈善演奏会である。戦争未亡人や戦争孤児や負傷兵を援助する目的で、さまざまな形態の無料コンサートが提供されるようになった。人々が音楽に「飢えていた」こともあり、有名演奏家が出演したことも手伝って、これらの慈善演奏会(ビヤホールで行なわれることもあった)は爆発的な人気を博することになる。これらは「高級音楽」をより広汎な聴衆へ開放する契機となり、一九二〇年代になって急増する労働者コンサートの先駆ともなった。
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