本研究は,19世紀末から1919年バウハウス創設までのドイツにおいて試みられた美術工芸の工房教育について,そのカリキュラムや実際の教育内容等について明らかにすることを目的としていた。本研究では特にミュンヘン手工芸連合工房に関与した芸術家たちの,各地の美術工芸学校での教育改革への関与に注目し,その際同工房の工房教育理念が反映された可能性を探った。 平成26年度は9月にシュトゥットガルト造形美術アカデミー資料室等を訪れ,ヴュルテンベルク王立美術工芸学校教育実験工房(以下,シュトゥットガルト教育実験工房と呼ぶ)を中心とした近代ドイツにおける美術工芸の工房教育に関する資料収集を進めた。これまでの調査を踏まえ,11月22日にはデザイン史学研究会研究発表会においてシュトゥットガルト教育実験工房について発表。10月には同教育実験工房の綱領及び規定の和訳を『長崎大学教育学部紀要』に,12月には同教育実験工房についての論文を『デザイン史学』に投稿した。 以上の研究により,平成26年度は以下のことを明らかにした。ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世は,芸術家支援を通じた地域産業の活性化を目指し,ヴュルテンベルク王立美術工芸学校の教授カルクロイト伯とグレーテに助言を得た。彼らはヘッセン大公エルンスト・ルートヴィッヒによるダルムシュタット芸術家コロニーの芸術性を高く評価したが,その生産体制や後継者の問題を指摘し,ミュンヘン手工芸連合工房のシュトゥットガルト移転をヴィルヘルム2世に提言する。この計画は頓挫したが,後のシュトゥットガルト教育実験工房構想の礎となった。同教育実験工房は1901年に創設され,F.A.O.クリューガーやB.パンコックらミュンヘン手工芸連合工房の芸術家たちを中心に運営された。1913年に教育実験工房が美術工芸学校と統合されるに至って,美術工芸の各種部門の工房が揃うことになった。
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