本研究の目的は、京都にあったレコード会社東洋蓄音器の社史及び制作されたレコードの目録(ディスコグラフィ)をまとめること、さらに明治~大正期に作られたSPレコードの成分を分析調査することで、当時のレコード業界の技術的系譜に於ける東洋蓄音器の位置づけを行うことの三つである。当該年度は目的の第一である社史に関する調査に時間の大半を費やした。 当該年度の最大の成果は、東洋蓄音器商会の存在を明らかに出来たことである。一般に知られる東洋蓄音器の歴史は大正元年の株式会社設立から始まるとされるが、本研究の過去3年の調査から、明治40年頃から東洋蓄音器商会というレコード会社と思われる企業の存在が確認できた。これは新聞紙上の東洋蓄音器(株)の決算報告にも、その買収がうかがえる記載があることから知ることは出来るが、個人経営であったため新聞等には情報が一切現れず、実体は不透明のままであった。これは社史をまとめる上で最大のネックである。それが昨年度末に、昭和の新聞記事から福永孝蔵(注1)が始めた事業であったことが判明し、この事で社史の発端部分を大正元年の株式会社設立に繋ぐことが出来た。加えて同時期の複写盤に関する意匠登録等を調査した中で、複写盤オリエントレコードに松村忠三郎(注2)が何らかの形で関わっていたであろう事が浮かび上がった。このことは東洋蓄音器の社史のみならず、日本レコード史の黎明期に関する新たな事実である。 (注1)オリエントレコード、ニットーレコード、ツルレコードの録音技師を経て、昭和8年に京都市山科区に福永レコードプロダクション(エトワールレコード等制作)を設立。 (注2)大正期に東京で帝国蓄音器商会(ヒコーキ、スピンクスレコード等)を設立。
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