研究課題/領域番号 |
24520221
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研究機関 | 秋田県立大学 |
研究代表者 |
高橋 秀晴 秋田県立大学, 公私立大学の部局等, 教授 (40310982)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 金子洋文 / 今野賢三 / 種蒔く人 / プロレタリア文学 |
研究実績の概要 |
「金子洋文の交友状況、創作方法、私生活等について、解明する」という「研究目的」(交付申請書)を達成するために、土崎図書館所蔵の洋文寄贈資料中、雑誌『種蒔く人』創刊(1921年)以前の洋文宛て今野賢三書簡の翻刻・分析を行った。 賢三からは、1912(大正1)年10月19日の葉書を皮切りに毎月のように書簡類が届いている。上京する賢三を見送った洋文に対し「狂へるやうな別離の悲愁に、思はず昏倒しやうとした。」と認めたり、「僕の如きくだらぬ人間にも、友と云ふ一字を冠してくれたならば、……だゞそれを中心より衷心より兄に願ふ。」(封書/1913年2月17日)と懇願する様子から、二人の関係性を窺い知ることができよう。彼らは、『種蒔く人』を創刊する10年も前から精神的に強く結び付いていたのである。 他方、1913年5月15日の封書には洋文が俳句に加えて短歌を作り始めたことが記されているし、1914年6月20日の葉書では日比谷の図書館で『秋田魁新報』に掲載された洋文の「緑の秘密」を読んだ旨を記し「筆も円熟して来てゐるのが眼立つ(ママ)ました。貴方の天才を大に御発揮なさることを祈ります。」と激励している。賢三書簡の検討によって、この時期の洋文に政治性や思想性を見出し得ないことが判明するのである。 以上のことを、「望嶽楼の夢-滝田樗陰と近代文学者-」(『秋田魁新報』土曜文化欄連載、2014年4月5日~2015年7月25日)、真砂婦人学級講座「プロレタリア文学と秋田」(2016年2月19日)、美の国アクティブカレッジ特別講座「大正文学史と秋田-樗陰・小牧・洋文・賢三らの功績-」(2016年3月5日)等において公表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
雑誌『種蒔く人』創刊(1921年)以前の洋文宛て今野賢三書簡の翻刻・分析を行い、「金子洋文の交友状況、創作方法、私生活等について、解明する」という「研究目的」(交付申請書)の達成に近づくことができた。 洋文と賢三が思想的共鳴から『種蒔く人』に関わっていったのではなく、固い友情と文学に対する情熱とによって初期文学活動を始動したことが明らかになったのは大きな収穫と言える。ただし、土崎図書館所蔵資料中の「草案・断片」と「ノート」の分析ができなかったことについては今後フォローする必要がある。
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今後の研究の推進方策 |
雑誌『種蒔く人』創刊(1921年)以後の洋文宛て今野賢三書簡の翻刻・分析を行い、書簡集を公刊する。また、「草案・断片」「ノート」「スクラップ」についても分析し、本研究を総括する。その成果を、学会発表、論文発表、講演等において公表する予定である。
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