研究実績の概要 |
最終年度である平成28年度は、「金子洋文の交友状況、創作方法、私生活等について、解明する」という「研究目的」(交付申請書)を達成するために、秋田市立土崎図書館所蔵金子洋文寄贈資料中、1913(大正2)年から雑誌『種蒔く人』創刊(1921年)までの洋文宛て今野賢三書簡の翻刻・分析を行った。たとえば、1916(大正5)年9月の書簡においては、同年8月1日に京野世枝子が創刊した文芸雑誌『成長』を賢三に送ったこと(10日付け)や洋文が上京の意志を表明したこと(27日付け)が明らかになった。また、1917(大正6)年の書簡では、千葉県我孫子の武者小路実篤宅に寄寓中の洋文がそこでの暮らしに満足している様子(1月8日付け)や、賢三に武者小路に紹介してくれるよう依頼されていること(2月16日付け)を知ることができる。さらに、賢三の「妻と別れて」という自作と洋文の「創作」という自作を相互に批評し合っていること(5月5日付け、6月18日付け)も明らかとなった。 研究期間全体を通じての研究成果については、洋文寄贈資料約10,000点の整理・分析を通して、武者小路実篤、有島武郎ら白樺派の作家たちとの接点および『種蒔く人』の同人である小牧近江と今野賢三との長年にわたる交情の実際を具体的に解明した。また、洋文の自筆原稿を調査し、原稿段階で既に高い完成度を有していたことを明らかにした。さらに、彼が同時代評に後押しされてプロレタリア文学作家となっていった経緯を実証した。 以上のことを、共編著『東北近代文学事典』(勉誠出版、2013年6月10日)、単著「武者小路実篤と秋田」(『秋田文学』第4次第22号、2013年9月9日、要請により『新しき村』第66巻第2号、2014年2月1日に転載)、単著「金子洋文と同時代評」(『秋田風土文学』第15号、2015年3月31日)等において公表した。
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