無住を取り巻く遁世僧のネットワークは、東大寺戒壇院流律僧、西大寺流律僧、栄西流禅僧など複数の系統に分かれ、しかも相互に関わりを持って存在していたことが知られるが、今年度はそれらのうち高野聖のネットワークを中心に考察を行った。 『沙石集』には、真言と念仏を兼修し、禅にも関心を寄せた行仙という遁世僧の往生話が語られ、無住は彼に深い共感を示している。行仙は零本『念仏往生伝』の撰者でもあるが、該書に収載される説話からは彼が高野山の明遍の宗教圏に近いところに位置した遁世僧であることがうかがえ、行仙自身、もとは高野聖であった可能性も十分に考えられる。 一方、『沙石集』にはまとまった数の高野聖の説話が収められており、無住の周辺にも敬仏房をはじめとする高野聖や高野聖出身の遁世僧が存在したことは間違いない。行仙の往生についての情報を無住にもたらしたのも、高野聖であったと思われる。同様に、『沙石集』の高野聖説話はもとよりとして、本書所収の遁世僧説話はいずれも、さまざまな遁世僧のネットワークを通して無住の許に吸い上げられてきたものと推定され、そうした伝承には遁世僧の視点が顕著に反映している。加えて、『沙石集』では実賢や公顕のような遁世僧に親和的な官僧の説話が存在することも注目されるが、それらも遁世僧の視点から語られており、その視点は遁世僧でありながら僧正に就任するという矛盾に満ちた行動をとった栄西の説話に認められる視点と表裏の関係にあるものと判断される。 以上の研究は、『沙石集』における遁世僧説話の基本的性格を闡明した点に重要な意義を有する。 さらに、上記の研究とあわせて、無住が遁世僧ネットワークを通して収集した説話を素材に、遁世僧の死生観に関する考察も行った。本研究は、無住の著述がこの方面の考察にも恰好の素材を提供しうることを示した点に大きな意義があると考える。
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