日本文化の中国へのいわゆる「逆輸入」、特に日本文化の重要な構成要素であった日本漢文の中国への流伝について、いままで学界でほとんど言及されていないため、研究代表者はこの空白を埋めようと考えている。 頼山陽の『日本外史』は日本史の名著で、江戸末期出版後日本人に広く愛読されているのみならず、中国にもかなり影響を及ぼしていた。幕末に日本の貿易船から上海の地方長官に贈呈されたのが中国における流布の発端で、その後上海さらに広東で翻刻され、今でも中国の多くの図書館に所蔵されている。中国では『日本外史』は日本漢文の代表作として高く評価されただけでなく、日本の歴史に関する知識の普及にも重要な役割を果たしていた。これらは今のところ事実としては知られているものの、その背景の解明や理論的な分析などの専門的な研究はほとんどないため、本研究では『日本外史』の中国への流布過程を全面的に究明した上で、その東アジア漢字文化圏における歴史的意義を再評価しようとするものである。その成果を「頼山陽『日本外史』中国流布考」と題し、2014年8月中国湖北民族学院主催の「中国古代文学理論学会第19回年会曁国際学術研討会」で報告し、その修訂版をさらに10月中国浙江工商大学主催の「中国古文献研究第2回国際会議」で報告した。研究関係者の意見を参考にして改訂した当論文は2015年中刊行予定の『域外漢籍研究集刊』第12輯に掲載される。 前年度計画していた斎藤拙堂『拙堂文話』についての研究は、中国に伝わった痕跡は少ないことが判明されたので、それをやめて今は明治文人竹添井井『桟雲峡雨日記並詩草』の中国への流布について検討中である。
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