研究課題/領域番号 |
24520247
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
中本 大 立命館大学, 文学部, 教授 (70273555)
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研究分担者 |
金 賛會 立命館アジア太平洋大学, アジア太平洋学部, 教授 (00331124)
二本松 泰子 長野県短期大学, 多文化コミュニケーション学科, 准教授 (30449532)
山本 一 金沢大学, 学校教育系, 教授 (40158291)
中澤 克昭 上智大学, 文学部, 准教授 (70332020)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 鷹書 / 鷹匠 / 祢津流 / 廣田流 |
研究実績の概要 |
採択期間最終年度であった平成27年度は、本研究課題の集大成として、鷹匠伝来鷹書における文化伝承の解明に特化して調査を進めた。前年度まで集中的に調査を進めた西園寺家や持明院家など公家流の鷹書は、その内容のほとんどが他家(他流派)伝来鷹書からの引用で、独自性が無いことがほぼ確認できたため、放鷹文化の実情を探る手がかりとして、あまり役に立たないことが解明された。同様に、慈円や藤原定家などの名前が冠せられることの多い「鷹百首」類も、鷹狩りの現状とは無縁の歌集で、そもそも鷹書の範疇に入れるべき書物ではないことも確認できた。それに対して、「鷹匠」伝来の鷹書は、実際に鷹狩に従事した書写者の実情を反映したもので、その文化的環境に即した叙述が多く収録されているのである。 そこで、本年度は、埋もれた鷹書類のうち、鷹匠伝来のもの限定で調査を進め、本邦放鷹文化研究に必要な基礎資料の体系化を目指した。その結果、加賀藩と仙台藩に仕えた鷹匠の依田氏と佐藤氏に伝来した鷹書類を発見することができた。なかでも、加賀藩の鷹匠である依田氏に伝来した蔵書群は、80点を越える鷹書と20点を越える鷹文書からなる文献群である。当家は信濃国小縣郡依田荘(長野県上田市丸子町)を本貫地とする一族で、近世前期にまず富山藩に仕え、のちに加賀藩に仕官した。同氏伝来の鷹書群は家康に仕えた祢津松鷂軒(政直)の流派である「祢津流」のテキストと自称しており、中世末期~近世期に隆盛した同派の伝播媒体となっていたことが予想される。一方、仙台藩の佐藤氏に伝来した鷹書類は、伊達政宗に仕えた廣田宗綱を開祖とする「廣田流」を称するものであった。このような他家の名前を冠する流派のテキスト群のデータを入手することにより、当時の武家流の放鷹文化の実相について、流派の展開からアプローチする手がかりを得ることができた。その成果は成稿し、公刊論文にして発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
これまでの鷹書研究は、公家に流布したものや鷹百首類なども一様に「鷹書」と見做して調査対象とされてきた。しかし前述のとおり、放鷹文化の実相を探る手がかりとして有益なのは、実際に鷹狩に従事した鷹匠が伝来した鷹書である。それらは、鷹匠の家に伝わることから、ほぼ個人蔵である。 ところで、鷹書は、一般に周知されていないことから、個人蔵のものは概ね埋もれたままになっている。相当数の現存が予想されるものの、注目度が低いことから、所在不明となる恐れが高く、その保存と整理が急務である。そのことも含めて、本研究では、個人蔵鷹書の調査を特に重視する方針に転換した。現在、個人で鷹書群を所蔵しているのは、かつて諸藩に仕えた鷹匠の末裔である事例がほとんどである。そこで、まずは藩政時代に鷹狩りが盛んであった地域を中心にフィールドワークを実施し、該当する家が見つかれば調査を進めて新出の鷹書を発掘することを目指した。 このような調査に伴う困難として、そもそもの存在自体が不明瞭であることから、探索に多くの時間と労力が費やされたことが挙げられる。そのような状況下で、加賀藩および仙台藩に仕えた鷹匠に伝来した鷹書類がまとまって発見できたのは僥倖であろう。しかし、それらの発見および調査が実現したのは年度末近くであった。特に、佐藤氏伝来の鷹書は公共機関である仙台市博物館に所蔵されているが、もともと個人が当家に伝来したテキストを同館に一括して寄贈したもので、所蔵目録が一般に公開されているわけではなく、年度末近くに知人を介して発見したものであったため、撮影作業については年度を越えてしまう結果となった。埋もれたテキストの発掘・調査は、このように偶然の産物であるケースが多く、見つかり次第、撮影、翻刻、内容分析の作業に入る予定である。今回は発見の時期が遅かったため、どうしても予定通りの年度内に研究を遂行することが出来なかった。
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今後の研究の推進方策 |
第一に、撮影済の依田家伝来の「祢津流の鷹書」約80点(個人蔵)について、翻刻および記載内容の分析・考察を進める。依田家は、個人蔵『依田家系圖』(巻子本)によると、源経基の五男・源満快を氏祖とし、十代目の依田十郎左衛門守廣の代に信州から北陸に出た一族であるという。この守廣という人物は当家の鷹術の祖と言うべき存在で、徳川家康に仕えた鷹匠の祢津松鷂軒常安の娘を妻とし、松鷂軒に男子がなかったことから守廣が祢津家の鷹の流儀を継いだという。なお、当家が鷹術で富山藩に仕官したのは、守廣の子である依田次郎左衛門守常以降のこととされる。 このような「祢津家の鷹書」は、依田家の他にも現存する。すなわち、信州松代藩に仕えた鷹匠の祢津信光(祢津松鷂軒の弟の子)の末裔に伝来した文書が5冊、真田宝物館に所蔵されている(平成26年12月に当主が寄贈)。これらの祢津家の鷹書も併せて翻刻し、依田家に伝来した鷹書との比較検討を通してテキストの位相を総合的に解明にする。翻刻作業の際には逐次書誌データを作成し、鷹書関係の文献目録にむけての基礎資料としつつ、記載内容についても綿密な解釈をしながら精査する。 続いて、現在、撮影中の佐藤氏の鷹書について、撮影が終了次第、依田氏の鷹書と同様に翻刻および記載内容の分析・考察を進めてゆく。なお、翻刻の成果は、三弥井書店から『伝承文学資料集』の鷹書シリーズの資料集として刊行する予定。その成果を以て、中世後期~近世期における武家の放鷹文化の実相に関する重要な部分が明らかになることが期される。今年度は、すでに発見され、撮影作業に入っている資料を扱うため、必ず年度内に遂行することが可能である。 その他、平成20年度から始まった「放鷹文化講演会」も引き続き主催し、2016年度は長野県松代町で第11回放鷹文化講演会『松代藩の鷹狩り』を11月中旬頃に開催する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
放鷹文化の実相を探る第一の手がかりが、鷹狩に従事した鷹匠が伝えた鷹書である。それらは概ね個人蔵で、多くは埋もれたままで、その保存と整理が急務である。本研究では、個人蔵書の調査を重視する方針に転換した。現在、鷹書を蔵する個人は、諸藩に仕えた鷹匠の末裔の方が多い。そこで、藩政時代に鷹狩りが盛んであった地域を中心に調査し、新出の鷹書を発掘することを目指したたため、多くの時間と労力が費やされた。そのなかで、加賀藩・仙台藩の鷹匠に伝来した鷹書類がまとまって発見できたのは僥倖であった。それらの発見および調査が実現したのは年度末で、佐藤氏伝来の鷹書は公共機関である仙台市博物館に寄託されているが、目録がなく、撮影終了は年度を越える結果となった。埋もれたテキストの発掘を続け、発見次第、撮影、翻刻、内容分析に入る予定である。今回は着手時期が遅かったため、予定通りの年度内に研究を遂行することが出来なかった。
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次年度使用額の使用計画 |
第一に、撮影済の依田家伝来の「祢津流の鷹書」について、翻刻および記載内容の分析・考察を進める。祢津家の鷹書は、依田家以外にも現存する。信州松代藩に仕えた鷹匠の祢津信光の末裔に伝来したテキストも併せて翻刻し、依田家に伝来した鷹書との比較検討を通して、文書の特質を明確にする。翻刻作業の際には逐次書誌データを作成し、鷹書文献目録完成のための基礎資料とし、記載内容についても綿密な解釈をしながら精査する。 次に撮影中の佐藤氏の鷹書について、依田氏の鷹書と同様に翻刻および記載内容の分析・考察を進める。翻刻の成果は、三弥井書店から『伝承文学資料集』の鷹書資料集として刊行する予定である。今年度は、すでに発見され、撮影作業に入っている資料を扱うため、必ず年度内に遂行することが可能である。
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