初期近代英国演劇、とりわけ商業演劇においては、挿入歌の楽曲の部分がそのためだけに作曲される機会は相対的には多いとは言えないことが、残存する楽曲のタイトルの調査から、当初推測された。だがその一方で、劇的な曲名や歌曲の歌詞に見られる演劇作品の台詞との一致(あるいは反映)が、それら楽曲が演劇上演に際して用いられた可能性について示唆するところ大でもある。舞台と歌曲・楽曲とは、(戯曲の版本と、より高度な製版技術を要求し、それゆえ戯曲台本ほど流通、残存しにくかった楽譜との関係を考慮してなお)空間・時間芸術としての現象的側面を共有していた。その祝祭性を記述し固定することで(本というかたちで)所有しようとする市民社会の(資本の論理に駆動された)欲望がすくいきれなかったいくつかの要素について考察した。 挿入歌が演出において大きな意味を持ち始める様子を、ト書きの充実度のみを手がかりに論ずることは危険である。他方、たとえばシェイクスピア劇におけるケンプ、あるいはタールトンといった身体性を売りにしていた役者と、台本における「詩行」とのせめぎあいをてがかりとして、韻文が役者のオーバーアクションを規制しようとしていた可能性を考察することも可能であるように思われる。 宮廷仮面劇やバロック・オペラのように音楽性をより強調し、特化した様式が確立され独自の深化・進化をたどっていったことにより、「挿入歌をもつ演劇」は、消費文化としての演劇史の観点からは、衰退してゆくことになる。だがオペラが楽曲によって展開してゆくのとは正反対に、挿入歌がプロットを立ち止まらせるとき、演劇はその様式にたいして否応なしに自覚的であることを迫られる。Richard BromeやJohn Gayは、挿入歌が作劇術のみならずプロットの必然にも寄与することを例証した希有な例であろう。それはまさに、ジャンルの交差点だったのである。
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