本年度は、南北戦争期の大衆詩のうち、戦後の哀歌や頌歌に焦点を合わせて研究を遂行した。戦争の大義を勇猛にうたった大衆詩よりも、いっそう論じられることが少ないからである。 本年度の調査の過程でもっとも関心を惹かれたのは、北部の詩人James Russell Lowellがハーヴァード大学の戦没卒業生を追悼した式典で詠んだ“Ode Recited at the Harvard Commemoration” (1865)および、南部の詩人Henry Timrodがチャールストンのマグノリア墓地で開催された戦没者記念式典でうたった“Ode Sung on the Occasion of Decorating the Graves of the Confederate Dead” (1866)である。たしかに、いずれも無名の詩人の無名の作品というわけではない。しかし、いずれも詩人みずから式典の聴衆の前で朗詠したoccasional poemであることを考えれば、本研究が対象としてきた大衆詩と呼びうる公共性を十分にもっていたといえる。 そもそも詩人にとってoccasional poemを詠むことは、きわめて不利な務めである。なぜなら歌うべきことがあらかじめ決まっていて、斬新なことを斬新にうたうことができないからだ。 けれども、これらの詩を分析すると詩人の戦略が明らかになった。たとえばローウェルは、いったん詩人と兵士たちを並べることによって、聴衆たちに兵士たちとの一体感を抱かせたのち、すぐさま兵士たちが詩人とは異次元の英雄であることを示すことによって、聴衆たちに兵士たちの偉大さを悟らせた。このように聴衆たちの心理を刻一刻と展開させていたのである。そうすることによって詩人は「人々と韻律を合わせ」ていたのである。大衆詩の重要な醍醐味はこのような聴衆・読者との一体化であったと思われる。
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