研究課題/領域番号 |
24520267
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
小田 友弥 山形大学, 教育文化学部, 教授 (20085468)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 湖水地方 / 旅行案内書 / 地方史書 / 観光地化 / 自然破壊 |
研究概要 |
研究目的達成のために、平成24年度は(1)ワーズワスの『湖水地方案内』以前に出版された湖水地方旅行書、地方史書などにおける自然保護意識、(2)自然保護意識の現れた既存書籍に、ワーズワスがどのように接していたか、(3)『湖水地方案内』出版の前後で、湖水地方案内書や地方史書で自然保護の論調に変化があったか、を中心にして調査を進めた。その結果、以下のような点が明らかになった。 湖水地方の自然破壊に触れた最初期の例は、1752年のT. クーパーの詩と1755年のJ.ドールトンの詩である。これらはワーズワス誕生の30年も前に出版されているが、そこにはグリニッジ・ホスピタルによる、ダーウェント湖畔のクロウ・パークの森林伐採への抗議が含まれていた。1770年代には、外来者であるイングリッシュやポックリントンによるダーウェント湖やウィンダミア湖の景観破壊があり、それへの異議は湖水地方関連図書にも見られた。さらに、旅行者の増大につれて、こだまを聞くための大砲発射やレガッタなどが実施され、歓楽的雰囲気も徐々に高まり始めていた。 このように住民や旅行者による自然破壊的な活動は、ワーズワス誕生以前から行われていた。彼の初期の詩作や手紙を調査すると、彼がこうした自然破壊に異を唱えた書籍に、少年時代から接していたことは明らかである。しかしながら、彼がそうした主張に賛意を示すようになるのは、1799年12月のグラスミア移住以後である。したがって、この移住時にワーズワスが感じたことを明確にすることが、彼以前の湖水地方の自然保護活動と彼の活動の関連を探るうえで重要になる。 本研究の大きな特色は、現在学会で常識化している、自然保護におけるワーズワスの役割を鵜呑みにせず、18世紀後半から19世紀にかけての文献にあたってみることである。平成24年度にはそのために必要な書籍の購入もできた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究に関連する図書の購入も含め、研究はほぼ順調に進んでいる。
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今後の研究の推進方策 |
「研究計画調書」への記載にしたがって研究を進めていく。具体的には、 (1)ワーズワス以前の、湖水地方の自然保護意識とワーズワスのものの比較、 (2)1799年12月以降に、ワーズワスを自然保護へと駆り立てたものの特定、 (3)『湖水地方案内』の出版は、湖水地方の自然保護意識にどのような影響を与えたか、 (4)スコットランド高地やウェールズなど、湖水地方と同様に自然美で名高い地域における自然保護意識、 の4点を中心に研究を深めていく。
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次年度の研究費の使用計画 |
該当なし
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