本研究では、19世紀末から20世紀初頭の英国におけるウィリアム・ブレイク研究と日本に対する関心とが、文化現象として部分的に表裏一体の関係にあったことを実証した。第一に19世紀末から20世紀初頭にかけて、ブレイク研究を契機とする日英文化交流が存在したことを示した。第二にロセッティ兄弟のブレイク論と日本美術論がどちらも直観を鍵言葉としており、それまでのヨーロッパ美術の伝統に対する反逆という意味を持ったことを明らかにした。そして、第三にブレイク研究家としての柳宗悦と、日本研究者でありブレイク研究者であった詩人ローレンス・ビニョンが、比較文化研究の実践者であったことを示した。
|