T.S.エリオットのアングロ・カトリシズムへの回心は、1927年6月末の受洗に帰結するが、翌年刊行のエッセイ集『ランスロット・アンドルーズのために』(For Lancelot Andrewes)の「序文」において、自身の新しいアイデンティティを三つの言葉で規定して見せた。すなわち「文学においては古典主義者」、「政治においては王政主義者」、「宗教においてはアングロ・カトリック」である。この自己規定は、キリスト教の根幹である神理解、すなわち、「一つにして三つ、三つにして一つ」である「三位一体」の教義のようにも見なすべき価値を持つものである。 『ランスロット・アンドルーズのために』は、保守反動主義者エリオットの誕生を告知する文集であり、ヴィヴィアンとの結婚の実質的破綻から、エリオットがいかに自己を再生させようと計画したか、その指針を規定している。無秩序と化し、混沌とした私的生活を統御するために、何らかの権威を有する存在を希求した結果が受洗、国教会への帰属だったのであり、それは人生の転回点、まさにコンヴァージョンとして、自己革新の契機として到来した。 エリオット個人の反近代主義的(アンチモダン)な文化政治学のマニフェストとして理解される三つの自己規定は、イングリッシュネスの構成要素に、カトリシズムの価値体系を対峙させ、結果的にcatholicity(普公性)という価値を包摂させようとする試みでもあった。宣言は、ジャコビアン時代のイングランド社会に理想を見出したことを示し、プロテスタンティズムを基本とするイングランド中心主義を、ヨーロッパ主義を含むものに書き換え、J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって国教会内部に再発見された普公性(カソリシティ)を活性化させ、それを自らの文学的営為によって、英文学の新しい正典(キャノン)として確定させようとしたことを示している。
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