本研究の目的は、鋭い観察眼で上流階級の有様をつぶさに描いたアントニー・トロロプの数ある作品の中でも、これまで研究対象とされることの少なかった4つの旅行記に焦点をあてて、その全体像を提示することにある。 研究の最終年度にあたる本年度は、トロロプの2つの旅行記『オーストラリアとニュージーランド』(1873)と『南アフリカ』(1878)を取り上げて作品分析を行った。『オーストラリアとニュージーランド』は他の旅行記とは大きく異なり、英国人に向けた移住指南書としての側面が色濃く反映された作品であったにも関わらず、かつて英国人入植者が原住民に対して行っていた非道行為の数々が具体的に記述されている。英国による帝国主義を支持していたトロロプが、そのような過去の歴史を旅行記の中であえて描いた理由を考察した結果、原住民に関して何の知識も持たない英国人移住希望者の移住が失敗に終わらぬように、トロロプが熟慮を重ねた結果であったことが判明した。 また昨年度と同様、「労働」という観点から『南アフリカ』の作品分析を行ったところ、他の旅行記と同じように、「労働が文明化に通じるただ一つの道である」という主張が繰り返される一方で、南アフリカにおける成功事例として紹介されているダイアモンドの採掘の仕事に対して、トロロプが批判的な立場を取っていることが明らかとなった。興味深いことに、この「労働がすべて善であるとは限らない」という彼の考えは、『オーストラリアとニュージーランド』における金鉱の採掘の仕事に対する彼の批判に重ね合わせることができるだけでなく、『西インド諸島とカリブ海沿岸地域』ならびに『北アメリカ』で明らかとなった「労働に潜む負の側面」にも通じるものである。この研究成果は、トロロプの旅行記全体を考察する上で重要なものであると考えられるため、現在、論文としてまとめている段階である。
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