研究課題/領域番号 |
24520341
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
番場 俊 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90303099)
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キーワード | 顔 / 表象 / ドストエフスキー / マレーヴィチ / ロシア / イコン / モダニズム / 小説 |
研究概要 |
19世紀後半から20世紀初頭のロシアにおける「顔」の主題の変容を、小説論/絵画論/理論研究を交差させながら明らかにするために、本年度は次の研究をおこなった。 1.小説論においては、『白痴』(1868年)をはじめとするドストエフスキーの小説における顔の主題の系譜を探り、さらにはそれを比較文学論的な視点から相対化するために、(1)ラファターの観相学の著作の検討をおこなうとともに、(2)日本近代文学の誕生期における「顔」の主題の生成を坪内逍遙と二葉亭四迷のテクストのうちに跡づける作業をおこない、現代日本における事例と関連づけて、論文にまとめた。 2.絵画論においては、(1)アムステルダム市立美術館で開催されたマレーヴィチの回顧展におもむき、調査をおこなうとともに、(2)マレーヴィチにおける「顔」(あるいは「顔」の拒否)の主題の特異性を、西欧モダニズムおよびロシア・イコンの伝統との対比において明らかにするために、グリーンバーグ、セルゲイ・ブルガーコフ、モンザン=ボディネらのテクストを検討し、「「キュビスム、未来主義からスプレマチズムへ――新しい絵画のリアリズム」(1916年)、「芸術における新しいシステムについて」(1919年)、「神は捨て去られていない」(1922年)、『無対象の世界』(1927年)といったマレーヴィチのテクストと突きあわる作業をおこなった。 3.理論研究においては、(1)ドゥルーズの画家フランシス・ベイコン論に拠って、セザンヌからベイコンに至る「感覚の論理」を検討するとともに、(2)1940年代のバフチンの草稿を再読し、「私」と「他者」の対面という出来事の現象学的記述の再検討をおこなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1.小説論では、本年度はドストエフスキーのテクストそのものよりも、その系譜学的ないし比較文学的検討に重点を置いたが、前者においてはラファターの観相学的実践と「告白」が思いがけないかたちで関連していること、後者においては、1890年前後の日本における「小説」と「顔」の結びつき(坪内逍遙『当世書生気質』(1885-86年)、二葉亭四迷『浮雲』第一篇(1887年)から、逍遙『細君』(1889年)、二葉亭『浮雲』第三篇(1889年)への変化)が、1830-60年代のロシアにおけるそれ(プーシキンとゴーゴリから、ドストエフスキーへの変化)とパラレルな関係にあることが確認できた。 2.芸術論においては、なによりも、アムステルダム市立美術館で開かれた大規模なマレーヴィチ回顧展を観ることができた幸運が大きい。この展覧会の印象と、カミラ・グレイやシャツキフらの古典的な研究を突きあわせることによって、マレーヴィチにおける「顔」の主題の展開を、ほぼその全生涯にわたってたどることができた。ただし、マレーヴィチ自身のテクストの読解は難航している。 3.ドゥルーズのフランシス・ベイコン論を検討することによって、セザンヌからキュビスムに至る流れを「平面化」として単純化してしまうグリーンバーグのモダニズム観とは明確に異なる視点を獲得し、セザンヌにおける感覚のカタストロフからベイコンにおける「顔」の解体へとつづく展開を理解することができた。同時に、マレーヴィチをはじめとするロシアの画家たちがセザンヌから受け継いだものを、グリーンバーグともドゥルーズとも異なるかたちで概念化しなければならないという課題が明らかになった。
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今後の研究の推進方策 |
1.小説論では、(1)ドストエフスキー『白痴』(1868年)の検討を継続するとともに、『悪霊』(1871-72年)の検討を開始する。ヒロインの顔の写真が顕在的な主題となる『白痴』とは対照的に、『悪霊』における主人公の顔は、むしろその不在によって特徴づけられる。バフチンは、ドストエフスキーの主人公たちの外貌は、道化であるか、仮面であるか、一定の顔を持っていないかのいずれかであると書いている(「1962-63年の覚書」)。『悪霊』の読解を通して、バフチンが指摘したドストエフスキーの作品の「多声性」と「顔」の主題の関係を考察する。(2)加えて、前年度における比較文学的な考察を補強するために、坪内逍遙『妹と背かゞみ』(1886年)における「写真」の主題を検討する。 2.芸術論では、マレーヴィチの作品および理論的著作の検討を継続するが、テクストの難解さに鑑み、マレーヴィチの無対象の哲学の全体像を明らかにするよりは、作品と理論的著作の交点において、特定の主題を選択的に追跡することを試みる。候補として挙げられるのは、マレーヴィチが長年にわたって描きつづけた画家クリューンの肖像の変容である。 3.前年度までの研究によって、ドストエフスキーからマレーヴィチにいたる「顔」の表象可能性/不可能性の問題が、キリスト教における神の顔の表象可能性と不可能性の問題――とりわけイコノクラスムに関わる論争――と深い関係にあることが明らかになっている。モンザン=ボディネやベザンソンの著作を検討し、古代のイコン論争と近現代におけるその変容を追跡することによって、19世紀後半から20世紀初めのロシアにおける「顔」の問題の宗教的な側面を検討する。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成25年度中にアムステルダムで大規模なマレーヴィチの回顧展が開かれることが判明したため、当初予定していた(1)北海道大学附属図書館および同スラブ研究センターにおける資料調査、および(2)ロシアにおける調査(ペテルブルクのロシア・ナショナル・ライブラリー(РНБ)、ロシア美術館およびエルミタージュ美術館)をとりやめて、オランダ出張に切り替えたために差額が生じた。 差額分は、平成25年度にとりやめた二つの資料調査出張((1)北海道大学附属図書館および同スラブ研究センター、(2)ペテルブルクのロシア・ナショナル・ライブラリー(РНБ)、ロシア美術館およびエルミタージュ美術館のために使用することを計画している。
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