研究課題/領域番号 |
24520382
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
藤田 緑 東北大学, 国際文化研究科, 教授 (10219024)
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研究分担者 |
佐藤 研一 東北大学, 国際文化研究科, 教授 (80170744)
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キーワード | 国際情報交換 |
研究概要 |
夏季休暇を利用して、大英図書館にて19世紀アビシニア戦争に関する文献調査を短期間実施した。その際、初年度の悉皆調査により、膨大な文献の存在が明らかになったため、平成25年度は調査対象を、膠着した英国とアビシニア皇帝との関係修復のために派遣された使節団の記録に絞り、分析・考察を加えた。その過程において、アビシニア皇帝やその家族、当時の国情等の新たな知見を得た。英国の使者にもかかわらず、正使のRassamはアデン英領事館の書記官に過ぎず、英国籍ですらなかった。一見不可解なこの事実は、折衝の困難さと交渉決裂をも念頭に置かざるを得なかった当時の為政者の微妙な立場を反映していたともいえる。 アビシニア皇帝が英国領事をはじめ女性を含むヨーロッパ人を人質として捕縛し、交渉役の使節をも拘束する異常事態に、英国は軍隊を投入する。敗北を悟った皇帝は自殺、首都は炎上し、一連の騒動に幕が引かれた。解放された捕虜らの帰郷は、英国、ドイツ、スイス等各国民衆の耳目を集めた。同戦争がアフリカ大陸で頻発した他の局地戦争と異なる点は、職業軍人と「野蛮な原住民」との領土をめぐる衝突ではなく、アフリカの「文明化」に尽力する民間人が巻き込まれたことにある。故に、人々は「捕虜」らに感情移入し、報道に一喜一憂した。否が応でも「アビシニア」へ関心が高まり、それが夥しい同国関連図書の刊行を誘発、その結果、様々なアビシニア・イメージが産み落とされていった。渡英した幼いアビシニア皇太子の薄幸の短い人生もまた、人々の共感を喚起した。現代では等閑に付された歴史の一齣を当時の文脈に戻すことによって、アビシニア、ひいてはアフリカにまつわるイメージが立体的に把握されるにいたった。 佐藤は、同戦争とのドイツとの関係から、J.M.R.レンツの喜劇断片『喜遊曲アビシニア』を手始めとした、ドイツ文学に現れるアビシニア像を考察中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
国内・海外出張を通じて文献調査を行う予定であったが、平成25年度4月より急遽部局改組業務に執行部として直接関与ざるを得なくなり、実行不可能となった。ごく短期間ではあったが、夏季休暇中に時間を捻出し、海外調査を一部実施した。以上が所期の目的を十分に達成し得なかった所以である。
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今後の研究の推進方策 |
藤田は、夏季/春季休暇を利用して、National Army Museum、大英図書館等にて19世紀アビシニア戦争ならびに19世紀後半から20世紀初頭のアビシニアに関する文献調査を行い、アビシニア戦争が英国社会に与えたインパクトや文学との関係について見定める。また、明治以降日本におけるアビシニア像、アフリカ像の変容を明らかにし、その上で英国との比較を試みる。 佐藤は、19世紀ドイツにおけるアビシニア・イメージについて、文学作品を中心に分析を施し、アビシニアの果たす「場」としての意味について考察を加える。
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次年度の研究費の使用計画 |
部局改組に関与した役職のため、所期の海外、および国内出張の履行が叶わなかった。 夏季、ならびに春季休暇を利用して、National Army Museum、大英図書館等にて重点的にアビシニア戦争に関連する文献調査を実施する。
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