本研究課題は、宋金元期の華北において造営された墳墓の発掘調査記録等を基礎を置き、そこに同時期の同地域で造営された神廟についての記録、祭祀演劇に関わる文学資料、ならびに家族や祭祀、地域共同体に関わる法制史料等を重ねることによって、宋金元期の華北において、祖霊のためにいかなる墳墓が形成され、そこでいかなる祭祀が行われたか、また、そうした祭祀はいかなる宗廟観念の反映であるのかを明らかにしようとしたものである。 平成27年度は、本研究課題の基礎となった墳墓の発掘調査記録の整理と分析、ならびに法制史料の整理・分析を集中的に行い、平成26年度までに得られた研究成果と共に、「文物篇」2章と「法政篇」4章の二部6章、122800字、147頁からなる『宋金元期の墳墓と戯曲文学』という研究報告書を作成し、平成28年2月27日に刊行した。 本研究報告書によって本研究課題は、宋金元期華北の墳墓は夫婦合葬墓として造営され、親子は墳墓を共有しないこと、また、墓室の墓門に対する壁面に墓主夫婦の真容が配置され、真容の正面に伎楽図等祭祀芸能上演図、真容図の左右に孝子故事に取材した壁画等が配されることを明らかにした。こうした墓内の配置は、夫婦二体の神格の像を中心に舞台や陪神たちが配される神廟のそれと共通するものであり、また、当時の文学資料・法制史料等を参照して、神廟祭祀と墓祭に両者おいて、芸能として共通した演目が奉献されていたことも明らかにした。宋代から元代にかけては、いわゆる「宗廟」が次第に形成されていく時期だったが、河南省や山西省といった地域においては、その「宗廟」は神廟を範とし、神廟の制度とともに整備・拡充されていったのである。
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