平成26年度は、過去二年間に収集した魏晋南北朝隋唐期の「楽府」に関する言説資料の分析を中心に行った。魏晋南北朝期の楽府に関する言説資料のなかで、特に今回の分析で注目した資料は六朝期の文学評論『文心雕龍』楽府篇の記事である。『文心雕龍』楽府篇は、魏晋期に楽府が詩とは異なる詩体として認識されはじめた後、「楽府」とは何かという問題を正面から論じた資料である。しかし、我が国の楽府研究に於いては、楽府詩の作者や『文選』の編纂者の楽府観とは異なるものとされ、従来あまり注目されてはいなかった(増田清秀氏『楽府の歴史的研究』創文社1975参照)。 本研究では、近年の中国に於ける楽府研究を参考としつつ、「楽府」に関する言説資料の分析に基づいて、まず魏晋期の「楽府」が「詩」と分かれてゆく過程を明らかにすることを試みた。その考察の結果、魏晋期は本来は歌であった「詩」が、歌や楽曲の歌詞としての性格を失い始め、その一方で「楽府」が楽曲の歌詞として、「詩」とは異なる別の詩体として認識され始める過程を明らかにした。そして、魏晋期に「楽府」と「詩」との別が意識された後、東晋期の楽府断絶によって、「楽府」が楽曲を失い、「詩」との境界が曖昧になったことにより、「楽府」とは何かということが問われるようになったこと、そのような時代の要請を背景として、本格的に「楽府」とは何かを論じた最初期の文献が『文心雕龍』楽府篇だったのではないかという仮説を提示した。 本年度の研究成果は、以上の考察によって、魏晋南北朝期に於ける「楽府」の変容と展開を明らかにしたこと、またそれが魏晋南北朝隋唐期に於ける詩体の変遷を考えるための一つの視座となりうることを示したことである。
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