白居易の「琵琶行」「閑適詩」「陶淵明の園田閑居の再現」について、主に下記の三論文を発表し、「自誨」詩の重要性も明らかにした。①「「琵琶行」の存在論―〈漂泊の慨嘆〉から〈故郷の探求〉へ―」、②「閑適への決意―下ケイにおける心理的基盤の形成―」、③「白楽天の「帰去来兮辞」―「自ら誨ふ」詩と廬山草堂への帰郷―」。何れも『白居易研究年報』(勉誠出版)所収。①は十三号、②は十四号、③は十五号、二〇一五年、最終年度の成果である。各論文の内容や意義は以下の通りである。 論文①:「琵琶行」は、江州左遷期における漂泊の慨嘆を、落魄の妓女と共有する代表作であるが、その漂泊の慨嘆こそが白居易を故郷の探究へと促し廬山に草堂を築かせた内的な動因、必然性であった。つまり、感傷詩の「琵琶行」と廬山草堂を歌う閑適詩群は、表裏一体の作品なのである。「自誨」詩には、そうした白居易の精神構造が典型的に示されている。 論文②:閑適詩は、従来、適(快適・快楽)を希求する作品として解釈されてきた。本研究では、適の「かなう」意を重視して、白居易は「自己の本性や情性と、身体や身辺環境とが適うこと」を希求した詩人であったことを明らかにした。さらに、従来指摘されてきた、適(身心の安適)を求める本性とは別に、白居易には直を貫く本性があり、白氏の閑適世界は、それを断固保守せんとする決意性(直の本性)なくしては実現され得なかった世界であった。そうした閑適への決意を強く明示した代表作が「自誨」詩である。 論文③:白居易の「己れ固有の本性を保守し貫く決意」は、本質的に陶淵明と共通する特質であり、「自誨」詩は、陶淵明が園田への帰郷を宣言した「帰去来兮辞」から、本質的な影響を受けて詠まれている。白居易の廬山草堂への帰郷は、陶淵明の、園田の居への帰郷の本質的再現(ミーメーシス)であり、後年の洛陽閑居は、その結実であった。
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