本年度は、これまでの一連の研究の総括も含めて、古代東北城柵論についての総括的研究をおこない、「文献史料からみた古代東北の城柵」と題する研究ノートと「古代東北の城柵について」と題する論文を執筆した。前者は國學院大學院友会岩手県支部・蝦夷研究会編『古代蝦夷と城柵』(2017年12月)に発表し、後者は刊行準備中の熊谷公男氏退職記念論文集(2018年秋頃刊行予定)に掲載の予定である。 上記2編の論考においては、まず(1)城柵への国司常駐を論ずる今泉隆雄氏の見解と国司が常駐した城柵は一部にすぎないとする熊谷公男氏の見解に対して、蝦夷への朝貢・饗給の施行や新城柵の造営などの諸用務に応じて城柵に国司が派遣される「城柵専当国司制」がおこなわれていたと考えた。また(2)宮城・福島県域で多くみられるいわゆる「囲郭集落」を城柵の1類型とみる熊谷説に批判を加え、「囲郭集落」は城柵ではないこと、城柵とは専当国司をともなう施設に対する呼称であることを述べた。さらに(3)7世紀代の初期城柵は6世紀代以降のミヤケに類似の性格をもつことを示したうえで、その段階での城柵の運用や東北辺境経営は伴造―部民制や国造制の支配系統が交錯する複雑な政治的背景の下でおこなわれていたことを推察した。そして(4)7世紀末ないし8世紀初頭に始まる律令制的な東北支配システムの変容を、8世紀前期の移民政策・租税制度や蝦夷反乱などとの関連の中で政治史的に論じた。
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