奈良時代の書状には「啓」という書式が多く見られ、上申文書の系譜を引くことが指摘されている。本研究ではさらに考察を深め、①用語、②書式、③書体、の三つの要素から、それぞれの本源を探ることを試みた。すなわち①については書簡用語・願意表現・敬語などが含まれるが、これらは公文には含まれないこと、②については「表」の別体であり、心情や願意を述べて上申するための書式として、後漢末頃から現れること、③については公文=楷書、書状=草書という書き分けが②と同様に後漢末頃には見られることから、「啓」や書状は、この三者が密接に関連して成立し、原初から公文と根源を分かち、対峙する性格のものであることがわかった。
|