研究課題/領域番号 |
24520760
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研究機関 | 佐賀大学 |
研究代表者 |
青木 歳幸 佐賀大学, 地域学歴史文化研究センター, 教授 (60444866)
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研究分担者 |
小川 亜弥子 福岡教育大学, 教育学部, 教授 (70274397)
ミヒェル ヴォルフガング 公益財団法人 研医会, その他部局等, 研究員 (90619769)
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キーワード | 医学教育 / 種痘 / 医学館 / 引痘方 |
研究概要 |
研究2年目は、第1回研究会を7月6日~7日に中津市童心会館で開催。9月14日に佐賀で第2回研究会を実施し、各自研究報告をした。10月24~27日のISHIK2013(於安陽)で、研究代表者は国民健康保険の系譜を報告。代表者は、佐賀城本丸歴史館、佐賀県立図書館および愛媛県立歴史博物館等で史料調査を実施。論文「佐賀藩引痘方とその活動」(『佐賀学II』、岩田書院、2014年4月刊)を発表。分担者小川亜弥子は、山口県文書館・図書館の医学史関係資料の重点調査を行い、「幕末期長州藩医学館の成立とその機能」(洋学史学会大会、9月14日)、「幕末期長州藩における医学館の創設とその機能」(洋学史学会研究年報『洋学』21号掲載予定)を発表。分担者ミヒェル・ヴォルフガングは、中津市大江医家史料館・村上医家史料館、大分県立図書館及び先哲資料館などの資料調査を行い、"Prayers for the Soul, Powders, Ointments, and Cautery for the Body" - Medical Interactions in 16th and 17th-Century Japan. International Conference: Renaissance Culture and Japan's Christian Century (1550-1650)( 学習院女子大学、7月20日)、 Treating Children in Japan. In: Thomas Wernicke: Shonishin — The Art of Non-Invasive Pediatric Acupuncture. London / Philadelphia: Jessica Kingsley Publishers (Singing Dragon), (2014年3月)を発表。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
年次計画に従って順調に調査研究が進展し、達成度は約6割とみている。理由は各藩医学教育の特徴と実態が明確に解明できたからである。佐賀藩医学教育に関しては、天保5年(1834)に開設された医学寮において、すでにドイツ医学を主とする西洋医学教育が展開していたことが明らかになり、安政5年(1858)開設の藩医学校好生館においてもドイツ医学教育が主であり、明治以降、医学校取調御用掛となった佐賀藩医出身相良知安が我が国ドイツ医学の導入をはかった背景が筋道として見えてきた。佐賀藩が嘉永2年(1849)に導入した牛痘法による種痘が、佐賀藩領でどのようにすすめられたかが不明であったが、佐賀藩は藩医を引痘方医師に任命し、領内を巡回接種させ、接種料は全額藩が賄い、庶民は無料であったことが判明した。佐賀藩では、藩主導の医学と医療が積極的に行われていたことを実証的に明らかにできたことが大きい。 中津藩については、医学教育の変遷がより鮮明になった。蘭学に関心を寄せた歴代藩主が藩士による蘭学研究を奨励し、先駆的な成果も上がったが、藩政にはほとんど反映されなかった。慢性的財政難ゆえに、領内の医学教育と医療の近代化は民間の活力に頼らざるを得なかった。牛痘接種の普及により医療の組織化や予防 政策の有用性が認知され、商人らの寄付金で医学館が設立されたが、本格的な近代医学教育を支えるほどの経済力は地元にはなかった。医学館を引き継ぐ形で明 治4年に誕生した中津医学校は短命に終わり、大分県立医学校も廃校になった。政策面で大きな成果は残らなかったが、幕末・明治の激変期に屋形、田淵、深水、村上、大江などの各流派の医家が見せた適応は、地方医家の典型として大いに注目に値する。 長州藩については、藩権力が幕末期に創設した藩立の医学館に注目し、特に、天保期から安政期に焦点化して、その役割と機能に関する実態を解明した。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度であるので、まとめと報告書刊行の準備をすすめる。第1回研究会を、分担者ミヒェル・ヴォルフガングが実行委員長として推進する5月31日~6月1日の日本医史学会太宰府大会に合わせて開催し、諸藩の医学教育を比較研究し討論に参加するとともに、研究会において、26年度推進計画を確認する。とくに最終報告書(含む史料集)のスケジュール確認と内容検討をする。第2回研究会を7月5・6日(予定)に萩市博物館で開催する。研究会を西南医学教育研究会(仮称)として公開し、分担者各自の研究報告のほか、各地の医学教育研究者からも報告をうける。同時進行として、研究成果のまとめと報告書刊行の準備をすすめる。10月24日から27日の第4回在来知歴史学国際シンポジウム(ISHIK2014、佐賀大学)でもできるだけ研究報告をする。12月6・7日初旬にまとめの第3回研究会を佐賀で開催し、最終報告書(含史料集)の最終原稿まとめをし、以後の展開について検討する。3月下旬に成果報告書を刊行し、研究成果の実施報告をする。 代表者青木歳幸は、最終報告書に好生館史料と佐賀藩医学史料を整理するとともに、佐賀藩医伊東玄朴の調査をすすめ、報告書に反映させる。分担者ミヒェル・ヴォルフガングは村上医家史料館・大江家医家史料館史料調査を継続し、医科器械の調査をすすめ、報告書に反映させる。分担者小川亜弥子は、藩立医学館や藩医の調査をすすめ、報告書に反映させる。
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次年度の研究費の使用計画 |
史料整理に予定していたポスドクのアルバイト人件費が別途経費で捻出されたため。 次年度使用額については26年度当初の史料整理における人件費にあてたい。 26年度は最終年度にあるため補充調査と報告書刊行準備を主とする。総額で、物品費は最小限にして、補充調査研究旅費に30万円、報告書刊行のための史料翻刻整理アルバイト謝金などに25万、その他(印刷・製本費)35万の使用計画ですすめる。
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