東北地方を中心に天保の飢饉下の非常態と飢饉の記憶に関する研究を行ってきた。そのさい飢饉史料の収集が研究の前提をなすが、初年度以来、自治体史の資料(史料)編を始めとしてすでに活字化されたものを、東北六県からさらに対象を全国に広げて収集し、その冊数は約460冊に及び、その収録史料リストを作成した。未活字史料についても、今年度は秋田県立文書館、一関市博物館、新潟県立文書館などにおいてデジタルカメラで関係史料を撮影することができた。これらの収集史料は科研終了後にも長く活用していくことになる。 今年度も地域への貢献を意識し、市民講座等を積極的に引き受け、その講演・講義とも連動させながら、地域史を主体にして、地域が飢饉にどのように向きあい、それを記憶(記録)してきたのか、「広瀬川上流域の近世災害史」、「天保の秋田藩飢饉と備荒対策」「天譴・天罰論をめぐって」などといったテーマで話した。また論文としては、右の講義で取り上げた秋田藩の備荒貯蓄政策について公表することができた。秋田藩では天明の飢饉後の寛政期に本格的な備荒貯蓄が開始されたが、天保4・5年の飢饉下ではほとんど役に立たなかった。「貨殖」すなわち貸し付け運用益によって備米を増やしていくというやりかたが実際には空蔵状態を生み出していたからであった。その苦い経験・記憶に立って、天保の飢饉後に永続的な備米制度が取り組まれたことを論じた。そのほか「災害と飢饉」(岩波講座『日本歴史』12)などの概論にも成果を盛り込んで発表した。 最終年度にあたったので、3年間の成果報告書を作成した。報告書には研究雑誌等へすでに発表したものは入れずに、市民講座などのために作成した配布資料(要旨・史料)を10点収録するとともに、上記の「天保に飢饉関係収集史料リスト」を収録した。
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