研究課題/領域番号 |
24520772
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研究機関 | 成城大学 |
研究代表者 |
森 暢平 成城大学, 文芸学部, 准教授 (20407612)
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研究分担者 |
瀬畑 源 一橋大学, 社会(科)学研究科, 科研費フェロー (10611618)
河西 秀哉 神戸女学院大学, 文学部, 講師 (20402810)
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キーワード | 象徴天皇制 / 天皇、皇后 / 皇太子、皇太子妃 / 皇族 / マスメディア / 宮内記者 / ジャーナリズム / 雑誌 |
研究概要 |
本研究の目的は、象徴天皇制/天皇像が形成・変容・定着する過程における宮内記者およびマスメディアの役割の解明である。資料としては、元毎日新聞皇室担当、藤樫準二旧蔵文書を中心に、各メディア記事などを利用する。 当該年度、最大の業績は、河西が編著者、森・瀬畑が著者として参加した河西編『戦後史のなかの象徴天皇制』(2013年11月)の刊行であろう。このなかで、瀬畑が「象徴天皇制における行幸」、河西が「戦後皇族論」、森が「ミッチー・ブーム、その後」の各論文を執筆した。瀬畑は、戦後巡幸において全国紙では次第に扱いが小さくなるものの、地方紙ではかなりの紙面が割かれていたことを丹念にたどり、地方における報道によって天皇制の支持基盤が盤石になっていった過程を明らかにした。河西は、昭和天皇の弟宮たちの人間的・民主的なイメージをとりあげることで、マスメディアは象徴天皇制の民主化をアピールする役割を果たしていった経緯を解明した。森は、皇太子夫妻の平民、恋愛イメージへの関心は、いわゆるミッチー・ブームのあとすぐに消費し尽くされ、高度経済成長を経るころには皇太子夫妻はしだいに憧れの対象でなくなっていく過程を明らかにしていった。いずれも、藤樫旧蔵文書が示す宮内記者たちの動きを見つめながら、メディアのイメージが象徴天皇制の形成と変容に大きく関わっていったことを解明した論文である。 宮内記者の残した文書を利用した研究はこれまでにはなく、そこに本研究の独自性がある。これに加え、本研究は、皇室のイメージが人びとにどう影響を与えたのかについて、占領期から高度経済成長期までを対象にした幅の広い研究を行っている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究1年目には藤樫準二旧蔵文書の整理を終了している。これをうけ、2年目の当該年度は、藤樫文書が示唆する宮内当局の動き、宮内当局と皇室記者との関係を解明しながら、論文を発表する段階に移行した。 上記、「研究実績の概要」にあげた、『戦後史のなかの象徴天皇制』所収の各論文のほか、瀬畑が「『宮中・府中の別』の解体過程」『一橋社会科学』、河西が「象徴天皇制・天皇像研究のあゆみと課題」『戦後史の中の象徴天皇制』、「天皇制と民主主義」『Notre Critique』、「国民国家と天皇制」『福音と世界』を執筆した。戦後天皇制においては天皇制そのものの研究だけでなく、「天皇像」「皇室像」といったイメージの解明が重要であり、そのためにはメディアとの関連を研究する必要があるという問題意識に基づく論文を、早いペースで書いているといえよう。 調査面では、森が米国に出張し、米国立公文書館、ミズーリ大学内フォード大統領図書館を訪れ、皇太子の米国訪問、天皇の米国訪問の資料を発掘してきたことが特筆される。 3人は、戦後天皇制に関心のある他の研究者とともに、研究会を3カ月に1回開いており、メディアと天皇制の関係を解明する、さらに多くの論文が執筆されることになるだろう。
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今後の研究の推進方策 |
本研究ははじめ、(A)皇室イメージとマスメディア、および、(B)宮内当局の政策決定過程の2つのべつべつの課題を掲げた。前者については順調に推移しており、今後も現在のペースで研究を進める所存である。後者であるが、当初計画では、昭和天皇の退位、皇居・宮殿造営、外遊の3つのサブテーマを掲げたが、藤樫準二旧蔵文書の全容を読み終わったあと、この文書だけでは、宮内庁内の政策決定過程を描くには資料不足であるという壁にぶつかっている。このため、(B)については、今後、外遊に絞り、研究を進める方針に変更する方向である。
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次年度の研究費の使用計画 |
米国への研究出張が、河西の都合により、森だけになってしまったため、旅費が大幅に余ってしまった。 平成25年度に行くことができなかった、国内外の調査を精力的に行う。
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