研究課題/領域番号 |
24520777
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研究機関 | 日本福祉大学 |
研究代表者 |
曲田 浩和 日本福祉大学, 経済学部, 教授 (00329765)
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キーワード | 環伊勢湾 / 桑名市場 / 醸造業 / 廻船業 |
研究概要 |
今年度は18世紀の知多半島西海岸の産業と流通について二つの研究成果を上げた。一つは小鈴谷村の酒造業の展開である。小鈴谷村の醸造業は、盛田久左衛門家を中心に現在まで続いている。18世紀前半の小鈴谷村は、飢饉や流行病などにより農村荒廃が進み、約50軒中3分の2が潰家となり、伊勢に稼ぎに出る事態であった。このような状況を打開するために、盛田久左衛門家は分家に酒造りを行わせるなど産業振興をはじめた。酒造業などが雇用創出につながり、18世紀後半には村の人口は回復した。また、酒造りの原料米を桑名米市場に求めたことが特徴であった。尾張藩では領内米統制は厳しかったが、木曽三川の河口にあたり米の集積地であった桑名は米の供給先を他国に求めた。酒造好適米が手に入る桑名の存在が小鈴谷の酒造業を支えたといえる。 二つめの研究は内海・野間の廻船業の展開である。両廻船は19世紀に入ると、瀬戸内海と関東をつなぐ幕藩制市場を揺るがす廻船として知られている。その前史として大坂方面にどのように向かったのかが焦点であった。その鍵は二つある。ひとつは、内海船が桑名米を熊野に運び、熊野から知多半島に醸造業に必要な林産物を輸送しており、熊野の年貢米を紀州藩城下若山に運ぶ機会を得て、大坂方面に行くようになったものと思われる。もうひとつは、内海船が伊勢屋組合とよばれる大坂と伊勢をつなぐ伊勢小早に加入していたことである。内海船の廻船仲間である戎講が天明4年には結成されたことが明らかになった。また、野間船が大坂で、小型船から大型船に乗り換えていることもわかり、18世紀の廻船業の実態が少しずつ明らかになった。 両研究の共通点として桑名米市場の重要性である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
18世紀の環伊勢湾の産業・流通の展開に桑名市場の重要性を指摘できた。その成果は研究実績に述べた通りである。ただし、産業構造の複層化を考える意味で、繊維産業の動向を組み入れることができなかった。知多木綿買次問屋の竹之内家や、知多木綿仲買の三河屋石井家、大伝馬町組木綿問屋伊勢国本拠の長井家などの史料調査を行ったが、研究成果として出すことはできなかった。また、信州の麻流通や大浜の繰綿市場についても同様である。次年度どこまで成果を出すことができるのか課題である。
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今後の研究の推進方策 |
今後は醸造業と廻船業について、知多半島東海岸で考えることにする。東海岸は三河大浜・高浜と近く、衣浦(広い意味で伊勢湾)一帯が醸造地帯であった。その醸造地帯と奥立廻船の動向を明らかにしていく予定である。すでに三河の酒造家である都築三郎兵衛家の調査は終了している。都築家は奥立廻船の廻船主の家でもある。19世紀の奥立廻船の動向を分析する予定である。また、小鈴谷村とは異なる醸造展開がみられる半田村の事例を取り上げることにする。半田村では、江戸市場への展開の前に、刈谷市場を販路としている。さらに、半田村周辺の村々の協力を得ながら半田村の酒造業が展開していったものと考えられる。村を越えた地域経済のあり方を考える意味で重要である。醸造業以外にも伊勢・尾張・三河の木綿業の展開について論じてみたい。
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