2014年度は環伊勢湾経済圏内の西三河と知多の関係について明らかにした。とくに、江戸市場への酒移出が三河から尾張に移行する過程で変化について、二つの点から明らかにした。一つは江戸向けの醸造品輸送としての奥建廻船である。この廻船の主体が、18世紀から19世紀にかけて三州廻船から尾州廻船に変化した。今回、三河の醸造家に伝える史料から幕末の実態が明らかになり、醸造家と関係から三類型されることが判明した。二つめは、18世紀の知多半島東浦地域の醸造業の展開の背景に、半田・亀崎への酒造株の集中がみられることが明らかになった。これらの周辺地域は酒造地から搗米人足を供給する酒造を支える地域へと変わっていった。さらに、半田・亀崎の原料米は三河の領主米払米を多く使用しており、製品は刈谷を市場としていることが明らかになった。刈谷市場での高価格での半田・亀崎酒の取引から、江戸市場への転換を図っていった。 三河・尾張産製品の販路として江戸市場定着に向けて、地域経済圏の意味を明らかにできたと考える。同様のことは木綿にもいえると考えている。
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