1899年に制定された「北海道旧土人保護法」は、農耕に目的を限定してアイヌ民族に土地を下付した。本研究は、それ以前の時期においてアイヌ民族による土地所有・利用が制度上および実態としてどのような状況にあったか、開拓使・三県の公文書、新聞・雑誌、紀行文などの調査により検討した。27年度は、①根室支庁関係分に重点をおいて開拓使文書を継続的に調査、②北海道庁が土地払下げ・開拓の準備作業のために作成した殖民地区画図や関係の文献を調査、③1890~1910年代に函館で刊行された新聞を調査し関連記事を収集、などの作業を実施し、全体として以下のような成果を得た。これらの成果は、近代北海道におけるアイヌ民族の歴史を、多角的に理解するために有効なものと考えられる。 1)明治初期の土地制度のなかでのアイヌ民族の位置づけについて先行研究を踏まえて事実整理をし、また、開拓使根室支庁管内について、アイヌ民族の住家が所在する土地の私有が、どの程度の割合で認められていたのか分析を進めた。 2)上川・空知・胆振・釧路地方などを主な対象として、「北海道旧土人保護法」制定の前後におけるアイヌ民族の土地利用・所有をめぐる和人移住者との軋轢などの事実を史料から収集・整理をおこなった。 3)北海道庁による殖民地区画の設定のなかで、アイヌ民族の農耕従事地が官有地として確保された地域とされなかった地域、確保された官有地の「保護法」による下付地への移行状況などについて事実整理をおこなった。 4)以上の調査にともなう副産物的な成果として、日本画家平福百穂が1907年に釧路地方を訪れた際に描いた「アイヌ」の絵についてまとめ、また、明治~昭和初期の道内刊行新聞に投稿・掲載された短歌・俳句等を整理することで、これらの時代におけるアイヌ観を考察するための素材を提供した。
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