サファヴィー朝に仕えたコーカサス(カフカス)出身エリート軍人・政治集団のハーッサ政策と帝国統治における位置づけについて引き続き研究を進めた。特に15世紀にグルジア(ジョージア)南部で台頭したバラタシュヴィリ一族について研究を進めた。グルジア王家と婚姻関係を結ぶことで勢力を拡大したバラタシュヴィリ一族は度重なるトルコマン勢力の侵入により南部地域が荒廃するなかでも地位を固め、サファヴィー朝勃興時には最大豪族の一つであった。シャー・タフマースプとアッバースによる侵攻によって、一族は分裂するが、アッバースの宮廷で王のゴラームとして仕えたオタル4兄弟(ないし3兄弟)はサファヴィー帝国内部での有力武人として活躍した。さらに地方統治者としてカンダハール、シューシュタル、ケルマーンなど各地で統治者として活動した。さらにオタルの庇護を受け、その後グルジアに帰還したカプランは17世紀後半には東グルジアで最大の豪族勢力を築いた。こうしたバラタシュヴィリ一族のオデッセイともいうべき活動についてグルジアの学会で発表を行ったほか、スペインの国際セミナーに招待されて報告した。さらに、南北コーカサスの歴史をつなぐものとしてシャー・アッバースのグルジア遠征の最中に敢行されたオセチア遠征について現地の学会で発表した。ペルシア語史料による記述の違いをとりあげ、遠征のタイミングや経路などについて議論を行った。このように、地域をまたいだ武人・統治エリートを輩出したグルジア系武人について郷里との関係にスポットライトをあてることで家産帝国の内情について考察を加えた。
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