最終年度は、3年間にわたる研究のとりまとめを行った。(1)政治空間の変化。北宋が首都開封を中心とする中央集権的政治システムを取るのに対し、南宋は首都杭州以外にも、制置司、都督府、総領所などを中核とした軍事、財政体制が敷かれたため、数カ所に権力が分散する分権的な政治システムを取ることとなった。(2)政治運営の変化。中央政界においては、北宋が皇帝に多くの情報が入るとともに、官僚との多面的な接触を元に政治運営を行う体制であったのに対し、南宋は皇帝と宰相間を行き来する「御筆・手詔」を中心とした政治運営に変わり、三省と枢密院の両方の長官を兼務することの多かった宰相に権力が集中する現象も現れてきた。また、(1)の変化に伴い、数路を束ねる制置司、都督府、総領所などが多くの権限を有することになり、北宋の中央-路-州-県体制に対して、南宋は中央-数路を束ねる制置司・都督府・総領所-路-州-県の体制へと変化していった。(3)政治的コミュニケーションの変化。北宋においては皇帝と官僚との直接的なやりとりである「対」(官僚が皇帝の面前で上奏し、意見を交換する制度)あるいは「札子」や「奏状」などの皇帝への上奏文書による方式が発達したが、南宋は「御筆・手詔」の発達に伴い、両者の交流は制限されることとなった。一方、数路を束ねる「路」官の発達は、中央-数路を束ねる制置司・都督府・総領所-路-州-県の間の交流を活発化させ、その間を行き交う文書の発達を見ることとなった。特に南宋に顕著に現れるのが、公式文書とならんで、それとほぼ同様な機能を有する手紙であり、南宋に書かれた手紙はこの政治コミュニケーションの変化をよく物語ってくれる。 以上の成果については、最終年度は3度の国際学会で報告するとともに、論文1編を公表した。
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