本研究のテーマは、大運河を通じて南方より北京へ米穀を輸送する制度、漕運およびその長期的効果について研究するものである。漢籍史料中にみられる各種数値データを分析した結果、河北西部地帯が相対的に顕著な人口増を示していること、農地―人口比率はより労働集約的な作付体系を示唆していることが明らかとなった。逆に運河(衛河)が貫流する東部地域においては、運河の水量管理による排水障害も相まって、集約的農業による農業生産余剰増大が大きく制約されたことが推定される。このように、明代当時の大規模な兵站政策としての漕運は、すぐれて中短期的な要因によって構築された一方、当時の社会・経済を構造づける結果となっていた。
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