この研究は、インドネシアのバティック(ロウケツ染め)産業の先駆的な歴史研究である。バティックはオランダ植民地期に産業として発展し、現在では「民族産業」と理解されている。本研究の目的は、第一に、このバティック産業の成長過程を明らかにすること、第二に、バティック企業と労働者との関係、雇用方法、賃金、失業者の問題などから地域社会にバティック企業が及ぼした影響について分析することである。バティックの主要な生産地である中部ジャワのスラカルタを中心にこれらの課題を検討した。 第一の目的については、19世紀中頃から始まる技術革新、具体的にはスタンプによるロウ置きと合成染料の導入によってバティックの産業化が進展したが、第一次世界大戦の影響による材料費の高騰、イミテーションバティックの輸入、産地間競争の激化、外領・海峡植民地への輸出など、1920年代、30年代の産業の展開について検討した。 第二の目的については、スラカルタの労働者に関して20年代の需要の減少、賃金の低下などが見られたが熟練労働者は安定的に仕事を得ていることも確認できた。競争相手の増加、消費者の嗜好の変化などによりスラカルタのバティック生産も大きく変化するが、常に3000人以上の労働者の雇用を維持していたことは重要である。ただプカロンガン、ラセムなど他地域の労働者の検討がまだできておらず、それについては今後の課題である。 本研究の現地調査で収集した多くの資料の分析をまだ進めており、今後、さらに新しい事実が確認できることを期待している。
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