本研究は、ヨーロッパの拡大期に相当する11世紀から13世紀までを時間的枠組みとし、まさしく拡大途上のヨーロッパに編入される典型的な「辺境」とみなされてきたイベリア半島東部における征服・入植運動の展開過程と、それにともなう封建的な定住・空間編成の生成過程を形態生成論的に明らかにしようとするものである。本年度は、前年度までの研究成果をふまえて次のような作業を行った。 (1)「辺境」をヨーロッパの「中心」からみて特殊な空間とみなしてきた従来の学説を全面的に排し、むしろそれが「中心」とみなされてきた空間の諸特徴を先取りする空間であったことを明らかにするべく、とくにエブロ川以南のアラゴン南部における征服・入植運動の展開にともない形成された定住・空間編成のあり方を実証的に明らかにした。具体的には、当該空間で主要城塞を核に比較的広大な属域支配を行いつつ、それと同時に形成された村落共同体(コンセホ)に一定の自治を保証したテンプル騎士団領のなかでも、とくにビジェルのバイリアに注目した個別専門研究を行った。 (2)アラゴン南部は伝統的に牧畜と略奪遠征をもっぱらとする「辺境都市」モデルが典型的に適用される空間とみなされてきたが、同じくビジェルのバイリアにおける集住村落の形成過程を、政治空間の分節化という観点からだけでなく、財の交換拠点の組織的創出・配置という観点から再検討する作業を行なった。 (3)約3週間にわたりアラゴン連合王国文書館(バルセローナ)ならびにテルエル県立歴史文書館(テルエル)において、上記の作業に必要な未刊行史料の追加調査を行なった。
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