本研究は、19世紀中葉以降にドイツで発行されたホメオパシー家庭医学書の記述内容の変化を明らかにすることを通して、科学的医学が発展する時代に、非正統医療がどのような影響を科学的医学から受けていたのかを検証する。史料として『ホメオパシー教本』と『民衆医師』を取り上げた。 『ホメオパシー教本』は、著名なホメオパシー医アルトゥール・ルッツェが1854年に患者向けに書いた医学書であるが、生前から改訂を重ね、彼の死後も、息子たちによって改訂が続けられ、1933年改訂の第16版まで発行された。アルトゥールの時代には、通俗医学の影響を受けた記述が見られたうえに、疾病の配列も恣意的であったが、息子たちの改訂を通じて、病因や病理学的な説明の箇所では、同時代の科学的医学の研究成果が積極的に取り入れられた。また、疾病の配列も、合理的に整理された。ただし、19世紀末以降に問題が顕在化する循環器疾患などには対応していない。病因・症状・治療法については学術用語を交えた詳細な記述があり、専門性が高い。 一方、『民衆医師』は薬局によって発行された150ページ程度の小型本で、改訂ごとに異なるホメオパシー医が著者となった。そのため、改訂ごとの記述の変化は大きい。初版は1887年刊行で、1927年刊行の第5版まで刊行された。病因・症状・治療法についての記述は簡単で、項目も限られている。ただし、身体についての説明など、新しい栄養学の成果などが取り入れられた。 このように、科学の力を借りながら、ホメオパシーの優秀性が語られていた。さらに注目すべきは、大型図書は難解すぎ、小型図書は簡便すぎて、図書だけを参考にして初心者が治療することが困難だったことである。そこで、患者同士が治療法を教えあう協会組織の活動が注目されることになる。協会議事録の記録から、このような組織では治療法の伝授が重要な活動であったことが確認できる。
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