本研究は、近代国家への信用認識の変遷の解明を目的とする。国債制度をいち早く確立したイギリスの歴史的な経験に注目し、そこに文化史的な手法を適用することで、公信用生成の文化的起源と生成過程の解明を試みた。 イギリス国債は18世紀前半に制度的に確立する。公債という新たな財産形態を生み出したイギリス公信用は、従来の土地中心の財産保有形態を前提とする社会秩序をかく乱する要因とみなされ、反体制勢力や「文芸共和国」の啓蒙主義者からは警戒され、敵視された。しかし、イギリスが七年戦争に突入し勝利を収める18世紀中ごろになると、公信用こそがイギリスの国力の源泉であるとみなす認識が出現し始める。たとえば、トマス・モーティマ(Thomas Mortimer)は、『ブローカー入門』(Every Man His Own Broker)でイギリス国債の受動的投資こそが最善の投資であるとイギリス社会の各層に説いた。またイサーク・ド・ピント(Isaac de Pinto)は、『循環・信用論』(Traite de la circulation et du credit)で、イギリス国債こそが対仏戦争の勝利をもたらした原動力であり、経済の循環を促進する重要な役割を果たしたと主張し、公信用の運用に失敗したフランスや公信用への敵視を隠さない「文芸共和国」のメンバーに国境を越えて公信用の効用を訴えた。 本研究では、モーティマの『ブローカー入門』を勃興しつつある「投資社会」の垂直的拡大に、ド・ピント『循環・信用論』を「投資社会」の水平的拡大にそれぞれ位置づけ、両者の関係性の摘出に努めた。新規に公債投資へ参入した人びとが公信用をどのように受け止め、同時に「文芸共和国」において公信用への認識がいかに変化したのかを明らかにすることで、国家への信用の確立の過程や様態と、それが「投資社会」の基盤を形成した事実が解明された。
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