研究課題/領域番号 |
24520852
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研究機関 | ノートルダム清心女子大学 |
研究代表者 |
轟木 広太郎 ノートルダム清心女子大学, 文学部, 准教授 (60399061)
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キーワード | 異端審問 / 権力 / 知 / 司牧 / 投獄 / 贖罪 / カタリ派 |
研究概要 |
異端審問は、信仰の敵の撲滅を目指す機関であると同時に、その敵の魂を救うことを目指す司牧活動でもあるという逆説を帯びた制度である。異端審問の権力と知は、この一見矛盾するかに見える課題をこなすために発達したということが明らかになってきた。 審問においては、悔悛する異端者の自発性が重要視された。異端は単なる人の弱さからくる罪ではなく、積極的な謬信であるから、悔い改めには鋭い断絶を画するような目覚めのしるしが必要と考えられた。異端審問官が最初にもうける「慈悲の期間」に出頭して異端の罪を告白した者は軽微な償いで済まされたが、それは自白が自発性のなによりの証左とされたからである。拷問も投獄も、頑迷に邪説にしがみつく異端者を目覚めさせ、この自発性を引き出すための権力の方策であった。さらに再犯の異端者は極刑を免れなかったが、判決確定後も当人から告白を得ることが追求された。このことは、異端審問という制度が、魂の救いをこの世の救いとは完全に切り離したところに存立していたことをよく示すものである。 他方、異端審問は、13・14世紀の南フランスで発展するにつれていくらか変容を蒙った。とくに重要なのは、誰を異端と見なすかということについて、次第にその焦点が大きくぼやけていったことである。1270年代ともなると、この地の異端を代表するカタリ派の成員やその積極的信奉者だけでなく、その儀式にたまたま立ち会った者、異端者と宿を与えた者、言葉を交わした者なども「いくらか異端的」な存在として扱われるようになっていった。こうして求められる自白の範囲は大きく拡大していった。もはや明白な謬信だけでなく、異端者とのあらゆる接点が疑惑の対象となったが、それでも自発性という基準は相変わらず重視された。疑惑の過去を余すところなくすべて審問官の前に晒す者こそ、真の悔悛者、すなわち自らの魂を救おうとする者と見なされたのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
異端審問に対する反抗の事例として、ベルナール・デリシューなるフランチェスコ会士にまつわる史料の検討を開始する予定であったが、まだ手が付けられていない。分量的に今年度1年で十分こなせるものなので、研究計画の変更は不要と判断している。
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今後の研究の推進方策 |
上にあげた史料の検討を開始するとともに、6月に「異端審問の研究と知」というタイトルで学会報告をする予定になっているので、その成果をまとめる。
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次年度の研究費の使用計画 |
今年度使用する予定だった旅費を次年度に回し、その分、文献の購入費に充てたため。 文献の購入費を抑え、旅費に回す予定である。
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