今年度の目的は、初期の異端審問制を、13世紀にローマ・カトリック世界において進展しつつあった司牧革命のなかに位置づけることであった。得られた結論は、この制度はたしかに異端という信仰の敵を殲滅することを目的としていたが、それは司牧的な方法、すなわち異端者の魂の救いという観点からの介入を通じてなされた、というものである。 まず、異端審問官は異端者の自発的な自白をなにより重視した。審問の取調べ前に、進んで自白した者は軽微な罰ですまされた。また、客観的な証拠が挙がっている場合も、審問官は自白を得るべく尽力しなくてはならないとされた。これは、同時代の告解において定着していた、罪の告白がそれ自体として償いの意味を持つという考え方の影響を受けたものである。自白の追求は非常に徹底したもので、異端者に対して火刑の最終判決が決まった後でも、異端審問官は、告解と聖体拝領を求める異端者にはそれを与えなくてはならなかった。つまり、異端者のこの世の命とは無関係に、あの世の命の可能性を、司牧者たる審問官は考慮しなくてはならなかったのである。 しかしながら、告解者の罪と罰が個人の秘密の領域で進行したのに対し、異端者の罪と罰は、他の信徒との関係において問題化された。第一に、異端者は自分の罪を告白するだけでなく、他の異端者を積極的に告発しなくてはならなかった。第二に、自白した異端者が受ける罰も同様で、火刑の次に重い投獄は、異端の「病」に感染した信徒を他の信徒と切り離し、終身単独で償い生活を送らせることを目的とした。次に十字着用刑は、異端者を共同体のなかに戻すのだが、それは、他の信徒たちを危険に晒した異端者を、衆目のもとで償わせるためである。最後に、十字を取り外して行われる巡礼では、異端者は他の罪人一般のなかに紛れ込んでもはや区別がつかなくなる。 このように、異端審問は特殊な司牧活動として成立したのである。
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