1230~1320年代の南フランスにおける初期異端審問制度は、たんに教会の敵を滅ぼすための手段としてではなく、その魂の救いに介入するための装置として捉えることができるものであった。異端審問の過程においては、まず自白がなにより重要視された。それは贖罪神学の影響のもと、悔い改めこそが償いの本質をなすという考え方によるものだった。たとえば、客観的な証拠が充分揃っている場合でも、自白に応じない容疑者は、しばしば何年も投獄された。また有罪が確定した者は、罪状に応じて投獄・十字着用・巡礼を科されたが、これらもそれぞれ、単なる懲らしめというのではなく、特別な贖罪としての意味を付与されたものであった。
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