研究実績の概要 |
最終年度である平成26年度は、平成24年(2012)に研究協力者である南アルプス市教育委員会の斎藤秀樹氏とともに同市所在の鋳物師屋遺跡および〆木遺跡の数十箱に及ぶプラスチックコンテナに収納された未報告出土破片資料の中から、製塩土器と思われる土器資料を抽出した。その結果、鋳物師屋遺跡からは総点数495点、総重量にして2,2923g。〆木遺跡からは総点数44点、総重にして量202.3g、両遺跡合わせて総点数539点、総重量2,494.6gとなり、平成24年度に行った韮崎市域での抽出量を上回る新資料を抽出し、それら資料群のトレースと観察表の作成および観察結果報告書をまとめた。平成26年7月には、山梨県埋蔵文化財センターが過去に発掘調査を実施した山梨県富士河口湖町に所在する滝沢遺跡第1次・2次調査分の出土土器の再調査をおこない、総点数31点、総重量にして122gを抽出し、それらの資料化と観察を行い、その結果は2015年3月に刊行された山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センターの紀要『研究紀要31』に掲載した。 これまでの調査研究により、内陸である甲斐国内での堅塩の作製ないし運搬に関わる製塩土器は、塩の供給元が作製した容器を使用するのではなく、供給先(甲斐)側が作製した製塩土器を用いていることが多いことを、研究分担者である河西学氏の鉱物学的胎土分析結果から得られた。こうした状況は美濃国などでも同様で、このことから古代におけるローカルな塩の流通は、堅塩の場合、供給先が容器を製塩した可能性が強まり、塩の供給元の容器を使用して貢納される都城のあり方と異なっている。さらにこの状況は、近世段階の焼塩壺の生産と流通のあり方に通ずるところがあり興味深い結果を得ることができた。
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