4年計画の最終年度は、スーサ遺跡出のエラム語王碑文のうち、膨大な数であるため昨年度中に手を付けられなかった文書の研究を続けた。具体的には、紀元前二千年紀中葉のシュトゥルク王朝の文書およそ数十点である。これらの中には古い粘土板文書であるゆえに状態が不完全なものがある。また古代のエラム語自体が研究界で十分解明されていないため、解釈が困難なものがある。2015年9月初旬のイラン国立博物館テヘラン館における調査では、問題があるいくつかのタブレットやブリックの写真を再撮影し、欠損部分の確認などを行った。その結果をもとに帰国後いっそうの研究を重ねた。また2016年2月から3月にかけてフランス・パリに出張し、エラム語研究の一人者であるF.マルブラン・ラバット氏(フランス国立科学研究所上級研究員)と資料を前に様々議論し、助言を得て、文書解釈に大きな進展をみた。ほかにも何人かの専門家と面談したり連絡を取り合ったりして、研究を進めた。その結果、多くの文書について理解が進み、紀元前二千年紀のエラムとバビロニアの政治的・文化的関わり、エラム社会固有の特色などが浮かび上がってきた。顕著なのはまた王位継承に女性の血統が必ず絡んでいたことである。それ故エラム社会では、古代の他の世界に比べ、女性の地位や役割が重視されていた。これは古代中近東世界を考える上で重要な視点となる。 以上の成果はイラン国立博物館の意向もくんで早期に発表される必要がある。そのための原稿準備にも力を注いだ。とりわけフランス出張は、文書の正確な理解と、学術的問題点の発見に有用であった。現在、チームを組んで博物館調査を続けてきた研究仲間と、成果出版の実現に向け準備を進めている。出版機関の選定、体裁の統一など、着々と具体的な様相について見通しが立ちつつあり、ごく近い将来に出版は実現するであろう。
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