本研究は東アジア的視野から古代土木技術を俯瞰し、その技術系統を整理し、各技術系統の展開過程を復元することを目的とする。研究は最終年度を迎え、これまでに収集してきた類例の比較検討をおこなった。 その中で、7世紀代における寺院堂塔の基壇構築技術に画期を見出すことができた。具体的には百済から将来された技術を簡略化したものが、7世紀後半以降列島各地の寺院に認められる点である。従来の技術に比してより簡略化した技術の採用が、7世紀後半における寺院造営の爆発的増加に呼応することを例証し、それこそが白鳳という時代の特質であると考えた。さらに、如上の簡略化した技術が採用された寺院は、各地のいわば拠点的な寺院、換言すると近畿地方の寺院とそん色のない伽藍配置や構造を採る寺院にほぼ限定され、こうした技術が近畿地方との強い関係性を示唆することもあきらかになった。つまり、仏教の展開には中央政権の強い意向がはたらいた可能性が高く、各地の有力者層と中央政権とのかかわりあいという文脈で、仏教の展開は理解できると考えた。こうして判明した点を整理し、2015年11月に「白鳳寺院の展開」と題した講演をおこなった。 古墳の分析では、墳丘の高大化という点に着目し、北魏皇帝陵が高大化したことを契機として、東アジア各地で墳丘の高大化が認められるようになることをあきらかにし、日本列島でも5世紀末以降、高大化した墳丘を有する例が散見されることは、こうした一連の動向と無関係ではないと推定した。この私見については、第18回九州前方後円墳研究会にて口頭発表をおこない、論文としては『日韓文化財論集Ⅲ』において発表した。
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