研究課題/領域番号 |
24520894
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研究機関 | 首都大学東京 |
研究代表者 |
杉浦 芳夫 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 教授 (00117714)
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研究分担者 |
原山 道子 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 助教 (00117722)
石崎 研二 奈良女子大学, 文学部, 准教授 (10281239)
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キーワード | 中心地理論 / Christaller / 渡辺良雄 / 学説史 / 東北地方 |
研究概要 |
1961年に東北大学に学位申請された渡辺良雄の博士学位論文『東北地方における都市の機能の研究』を精読し、必要に応じて1960年代までに発表された渡辺の中心地研究論文ならびに都市研究論文を再読した。400字詰め原稿用紙に日本語で書かれた学位論文は、本文128ページ、文献17ページ、図表69ページからなっている。学位論文の内容は、その題名からわかるように、それ以前になされた自らの中心地研究をまとめたものではない。確かに論文後半のほぼ3分の1では、すでに発表された福島県全域・横手盆地の中心地研究、岩手県中央部ならびに全域の商圏研究に基づきながら、最後には東北6県全域の中心地システムの階層構造を模式化している。そして、それにさらに推敲を加えて発表したものが、「東北地方における中心地の階層分化」(1967)である。いずれも、商業・サービス機能に加えて行政機能をも対象にして階層構造が考察されている点が研究上の特徴である。しかし、学位論文では都市における第二次産業と第三次産業の産業構造分析を基調としているので、そこで示される中心地の階層構造は、正確には工業機能が付加された都市の階層構造と呼ぶべきものである。また、1967年論文では地形単元(平野型、山間・海岸型)が中心地分布の類型区分とされているのに対し、学位論文では分布パターン(散布型、交通路型、孤立型)が中心地分布の類型区分とされている違いがある。渡辺が1970年代以降に取り組む全国レベルでの都市研究を視野にいれると、学位論文の価値は、経済基盤論に基づきながら、独自の立地係数式によって生産型の都市と消費型の都市に類型区分し、東北地方の都市の経済基盤が第三次産業にある点を指摘したことにある。比較に取り上げた中国地方山陽側の都市の経済基盤が1955年当時においてすでに圧倒的に第二次産業にあった事実の発見は、東北地方が中心地研究の格好のフィールドであったことを逆照射している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
前年度に課題として挙げた3点のうち、今年度着手できたのは渡辺の博士論文の検討だけであった。残る2課題のうち,渡辺が所蔵していたChristaller(1933)の原本の余白部分に記入されている書き込みについての検討は、首都大学東京の地理学教室に保管されているはずの原本の所在が不明になっているため行なえなかった。幸い、今年度の夏季休暇期間に2年ぶりに図書室でインスペクションが実施されるので、おそらく原本が見つかるのではないかと思われる。それを俟って、渡辺が自らの中心地研究にChristallerの中心地理論のいかなる部分を取り込もうとしたかの検討を行なうつもりである。もう一つの課題であった、渡辺が残した中心地研究関連の資料を精査し、分析作業や思考の過程について理解を深める点に関しては、資料が、東日本大震災の被災で散乱した図書・資料を急ぎ掻き集めて詰め込んだ、約100箱の未開封の段ボール箱のいずれかに収納されていることはわかっているが、開封場所の問題や作業時間確保の点で見つけることができないままでいる。こちらについても、2014年度は是非とも作業に着手したいと考えている。博士論文の検討を通して、中心地研究は渡辺の都市研究の出発点であることが確認されたとともに、渡辺が,第二次産業(工業機能)と第三次産業(中心機能)が立地する場所として都市をとらえていたことがわかった。そして、渡辺が経済基盤論に依拠しながら都市の機能分化を考察しようとしたことは、同様に中心地研究に関心を抱きつつも、中心地理論が都市立地理論としては十全なものではなく、都市の立地研究には経済組織体として都市を分析する視点が不可欠であると論じたBobek (杉浦, 2014)との問題意識の共有を示唆するものである。
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今後の研究の推進方策 |
まずは,残されている二つの課題 (Christaller(1933)の原本記入個所の検討、渡辺が残した資料の検討)について検討を加え、渡辺の思考過程の理解を深める。次いで、いずれも東北地方全体の中心地システムについて論じている、博士論文第3章(1961)、「統計数値に現われた東北地方諸都市の産業構成と規模階層分化」(1965)、「東北地方における中心地の階層分化」(1967)の異同について考察する。この三つの論考では、対象とする中心地の規模の違いの問題もあるが、階層区分のための指標や想定される階層の数、中心地分布の類型区分(分布パターン、地形単元)などが(微妙に)異なっている。1967年論文のものが最終結論とすれば、そこに至る5年間ほどの間に推敲がなされたはずであるので、その推敲の過程を検討してみたい。そこには、東北地方の中心地システムのより本質的な洞察に至る過程が示されるとともに、その後の渡辺による全国レヴェルでの都市システム研究の展開の萌芽を孕むものが示されているのではないかと思われる。最後に、Christaller(1933)以外に、単なる研究史的な文献の引用を超えて、渡辺の中心地研究に影響を与えたと思われる先行研究について考察してみることにしたい。方法論の面では、海外の研究者によっても援用されている、中心機能階次区分のために考案された折れ線グラフ法(Watanabe. 1955)が、中心機能の全体構成を重視するSmailes(1944)のTraits Complexの概念を強く意識したものであることははっきりしている。日本の中心地システムという側面に限れば、鈴木栄太郎、井森陸平の戦前の社会学者による地域社会圏に関する理論と実証双方の研究からの影響があったのではないかということが、渡辺の論文の端々から読み取れる。この点についても検討してみたいと思っている。
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次年度の研究費の使用計画 |
当初予定していた作業が、資料の行方不明等のため遅れ、執行できなかった。 最終年度にあたり、結果を集約して報告書作成まで持って行くためには、昨年度中に予定していた作業を集中的に進めなくてはならない。当初予定していた執行計画は遅れているものの、内容自体に変更予定はないので、執行予定額は変更せず、そのまま追加した形で執行する。
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