研究代表者は、マニラ首都圏マリキナ市のスラム住民を対象とし、不法占拠者への土地供給や所得補助、あるいは自然災害への復興支援などの社会開発プログラムと住民の反応について調査を行ってきた。明らかになったことは、諸プログラムが、政府によるセーフティネットの提供ではなく、むしろ「自助努力」や「人的資本への投資」といったネオリベラルな理念を標榜する一方、実際の資源分配はパトロネージ(庇護)とクライエンテリズム(忠誠)の規範に基づきつつ行われており、また貧困層の間ではそのような規範の希求が根深く存在するということである。パトロネージとクライエンテリズムとは、貧困層と政治的エリートの間に見られる、票と財・恩恵の個別的かつパーソナルな交換関係であり、フィリピン社会に卓越するインフォーマルな政治経済制度であると規定できる。このような制度は、汚職と腐敗の温床、市民社会の発展を妨げる障害、そして「弱い国家」の元凶として、特に国内のミドルクラスから常に厳しい批判に晒されている。その意味でこの制度は社会の分断と断絶を再生産する脆弱性を内包する。しかしその一方で、貧困層にとってこのような制度は、持つ者と持たざる者がいかなる関係にあるべきか、両者はどのように共存すべきか、そして両者の間で資源はいかに分配されるべきかを示す規範を示唆している。それは近代的政治経済制度の確立とともに周縁化されるべき過去の遺物ではなく、むしろ国によるフォーマルな制度や公助に頼ることの出来ない社会に現出する今日的リスクと不確実性の中で生成するレジリエンスを示唆している。本研究では、このような脆弱性とレジリエンスの複雑な絡み合いに注目した民族誌を成果として公表した。
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