最終年度である今年度は、既に明らかになっているいくつかの論点について追加的に史料収集・分析を行って考察を補強することと、これまでの史料分析の結果を総合して議論を構築することに取り組んだ。 前者については、一次史料・二次文献の取り寄せや分析に加え、博多とその周辺地域における現地調査も行った。中世後期以降、商人による対外貿易で発展をとげた博多は、江戸時代に入り、対外交渉の窓口としての地位を長崎に奪われるが、江戸初期の長崎町人の中には博多出身者も少なくなく、経営の面においてなお出身地博多との関係を強く持っていたことが分かった。また、享保期(1716~36)における幕府の抜荷政策の変化が、長崎ばかりでなく博多の史料にもはっきりと表れていることや、この頃には抜荷が北九州海域でも盛んに行われていたことを確認できた。 一方、総合的な議論の構築に関しては、2015年10月の法制史学会秋季シンポジウムにおいて、抜荷の問題を扱った近松門左衛門の『博多小女郎波枕』とその関連テクストの分析を中心に研究成果の一部を報告し、2016年3月には、小さな研究会において、抜荷組織や親子関係のあり方を手掛りとしつつ、当時の町人社会が抱える信用の問題等につき、テクストに即した形で踏み込んだ議論を行った。その際には、近松の世話浄瑠璃と、その設定において類似し結末において対照的な、16・17世紀のフランス演劇及びこれに影響を与えたローマ喜劇との比較も行い、近世日本の閉塞的な町人社会の特質や問題点を、より大きなコンテクストにおいて明らかにすることも試みた。
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