研究期間の延長を許された28年度は、岡松参太郎・新渡戸稲造が残した文書群など、関連する国内資料の調査を終え、期間の余裕があったので台湾に流れた歴史空間の踏査を補充した。前者は、既に取得してあったマイクロフィルムと文献史料の分析に勤めたが、臨時台湾土地調査局公文類纂を超える想定外の知見にはつながらる画期的な成果を得たとはいえなかった。そこで後者、すなわち100年前の台湾を彷彿とさせる史的風景の追体験を続けることで本研究のイメージを膨らませることができた。 前年度に阿里山と原住民(鄒族)の集落を訪れ、今もそこで生活を営む人びとの二三世代前の先人たち以来、ずっと保持され続けた旧慣への接点を求めたが、今年度は森林資源の集積地となった嘉義(ベースは北門)から高雄にいたる道筋を辿った。記録には頻出する華南平野を一大穀倉地とした八田與一による烏山頭ダムを目の当たりにし、縦横に走る灌漑路の一部に足を踏み入れて工事の巨大さに触れ、数々の職員宿舎の前に立つと、携わった人びとの息吹と総督府の事業の壮大さを実感したのである。高雄市郊外の製糖所遺跡では新渡戸稲造の胸像に出会い、やはり台湾における殖産事業の歴史的意義を肌身に感じることができたと思う。 加えて花蓮を訪れる機会があり、太魯閣族青年の運転する車で原住民の集落を二つ訪問した。そこでは流暢な日本語を話すやや年配の女性と、日本人訪問者を歓迎する遣り取りが続いたが、過去の日本統治時代の話にはならなかった。その代わりであろうか、車を提供した案内人は吉野村という日本人の入植地に向かい、寺廟となっていた神社跡を見せてくれた。ここを訪れる日本人は殆どないということである。 周辺部の歴史空間を辿る最後は台北中枢部とし、総督府(現総統府)・総督官邸(現台湾賓館)・国立台湾博物館や官庁街を歴訪したが、これは総督府時代の残照というべきであろうか。
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