本研究は、害悪が生じるか否かが不確実であるにもかかわらず、もし顕在化したら回復困難とされる環境リスクに関して、裏腹の関係にある科学技術の利便性をできる限り享受しつつも、その脅威をできる限り排除しようとする法的取組みに焦点を当て、環境リスク規制の正当化問題(Legitimationsfrage)を解き明かそうとするものであった。この問題と向き合うにあたり、具体的な検討の場である参照領域として、とりわけ遺伝子技術法と原子力法を選択し、それぞれの法領域における環境リスク(遺伝子組み換えのリスクと原子力リスク)が、当該法領域において、どのように取り扱われているかを検討し、かつ、どのように取り扱われるべきかを考察した。 遺伝子組み換えリスクと原子力リスクは、それぞれ固有の性格を有しているとはいえ、経験則だけではいかんともしがたい不確実性を抱えているという点で共通している。それゆえ、当該環境リスクへの対処に際しては、見通しを得るための適切な情報が求められるが、その情報は適切な組織・手続の下で新たに創出されなければならない。そのような組織・手続は、公私協働を前提に、専門知の発展に順応しうる自己規律力の高い制度であることが求められる。ここでは法治主義原理としての合理性の要請が妥当する。 しかし、専門知を創出する合理的な制度の追求はテクノクラートの支配に堕する危殆化と裏腹である。そうした制度が環境リスクの規制のために公権力を行使しなければならないとしても、専門知に裏づけられた合理性のみによって正当化されるものではない。正当化は民主的になされなければならない。合理性の要請としての法治主義原理は、民主主義原理と結びつけられてはじめて、規制の正当化としての法的意義を獲得しうる。民主的正当化のあり方こそが先端的な環境リスク規制の重要課題であることが明らかになった。
|