本研究は、海上交通事故の実態、海上交通安全に対する各種行政取締法を含めた刑事規制の現状、刑罰法規の運用の現状をデータベース、文献、関係官庁における意見交換などにより調査、検討した。 海上交通事故の実態の特徴や傾向はこの20年間で大きな変化はない。衝突事故が最も多く、小型船舶が約8割を占め、事故原因は見張不十分が最も多い。また、航行安全のために制定された船舶安全法、船舶職員及び小型船舶操縦者法などにおいて刑事罰をもって担保されている事項にも大きな変化はなく、運用においても、海上犯罪取締り件数で最も多いのは船舶安全法違反であることも変わりない。そして、実際に海上交通事故が生じた場合には刑法第129条2項(業務上過失往来危険罪)が適用されて送致されているが、その多くは略式手続きで処理されている。 衝突事故に関する近時の裁判例では、衝突直前まで相手船を初認していない事案が多く、その過失は見張義務違反とされていた。この見張義務はいわゆる情報収集義務であり、この情報収集義務については議論があるところ、刑法上の情報収集義務を課す前提として必要な条件についての示唆を得た。一方、いわゆるヒューマンエラーによる事故は医療事故や航空事故とは異なり見受けられなかった(もっとも、航法学会などではヒューマンエラーの知見をふまえた事故防止策についての研究が進められていた)。 また、海上自衛隊護衛艦「あたご」漁船「清徳丸」衝突事件に対する無罪判決が他の衝突事件の処理(起訴、判決)に影響を与えており、従来の刑事手続きにおける二船舶間の避航義務の関係についての判断と相違点が生じており、前記無罪判決およびこれに影響を受けている事件処理を比較し、前期無罪判決の論理およびその射程を考察したことは安定した法的判断につながるものと期待される。
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