大都市自治体は、大都市社会に適応して一体的に運営される必要がある。しかし、大規模自治体であるがゆえに、官僚制支配が強化され、住民の意思が反映にくい構造となりやすく、身近な区レベルでの自治も要請される。このような矛盾する要請において、前者に関しては、大規模自治体を設置することで対処され、後者は、大規模自治体内の都市内分権を進めることがなされる。 東京都において、1975年に特別区長公選制が復活し、その後の都区改革による区レベルへの保健所・清掃事務移管、特別区人事委員会の設置、さらには、基礎的自治体としての特別区の法認などが進められてきた。しかし、政治力学を前提とすれば、東京都知事の権限を弱体化させる区長公選が実現したメカニズムは、理解が難しい。しかし、特別区に区議会が設置され続け、それが自治権拡充運動を一貫して続けていたこと、そして、特別区の自治権強化という理念が政治家・役人も含めて、強力な正統性を有していたことが、区長公選を実現するメカニズムとして重要であったことが、明らかになった。 他方、多くの政令指定都市では、同様の問題を抱えつつも、区長公選化がなされることはなかった。そのメカニズムは、政令指定都市市長の権限を次弱体化する区長公選制を、関係者が了解することはない点で容易に説明がつく。この点の例外が、大阪市の「解体」を企図する、いわゆる「大阪都構想」である。勿論、当初の提唱者である橋下徹は大阪府知事であったため、その段階では大阪市「解体」による区長公選化は合理的である。しかし、橋下が大阪市長に鞍替えしてからも、奈央大阪市長の権限を弱体化する「大阪都構想」を掲げ続けたメカニズムは不思議ではある、しかし、東京の区長公選化と同様、大阪都構想」という理念が大きな正統性(あるいは自縄自縛性)を有したこと、維新の会という運動体が存在したこと、が作用したことが明らかになった。
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