日仏伊の戦後保守一党支配は、70年代前半の共通の危機(労働者・学生の運動と石油危機)に対して異なる対応を示し、その結果、80年代以降、別々の道を辿ることになった。本研究はこの70年代の分岐、特に①なぜフランスで保守支配が早期に終焉したのか、②なぜ自民党支配だけが徹底的に合理化され、93年の破綻を乗り越えてなお存続する程の強靭さを獲得したのかを説明することを目指す。 平成24-26年度の3年間において、本研究の3つの研究領域(公的投資資金の枯渇と地方財政危機への対応、地方レベルの党派ネットワークの変容、議員団の内部構造の変動)について、既存研究のサーベイと現地での資料調査を進め、三カ国の比較について作業仮説の精緻化と実証作業を完成する段階に入っていたが、第二の、そして核心的な領域である「地方レベルの党派ネットワークの変容」については、対象とする都市・地域のサンプル数を増やす努力を続ける中で、特にフランスについて、新たな重要資料の存在が次々に明らかになった。そのため研究期間を延長し、今年度(平成27年度)に、中山がこの点に関する追加の資料収集のため、閲覧許可が得られるのを待って、二度のフランス出張を行った。その上で、レンヌ市とイレヴィレンヌ県に関して得られた知見を、他の地域・分野に先行する、いわば「中間報告」として、『国家学会雑誌』の連載(三回)論文にまとめた。これによって本比較研究の実証的基礎は格段に強化されたと言えよう。 その上で、一応切り離して分析されてきた、上記3つの領域について、その相互作用を明らかにする解析作業を石田と協議しながら進めた。近日中に最終的な成果を論文ないし著書の形でまとめる予定である。
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