本研究の目的は、戦後日本の医療政策の規定要因を歴史的に分析することであった。特に、医療経済アクセスの向上(健康保険制度)へ関心が集中していた医療制度研究において、供給面の変容を制度的に追究した点が本研究の特徴であった。 本研究はまず国民健康保険や厚生省が成立した戦中期(昭和10年代)の事象整理を行い、特に軍医養成が拡大した点に着目した。それが戦後、大量の開業医を誕生させ保険医療の受容を余儀なくされたので、自由開業医制度を基盤とした普遍主義的保険医療という日本の医療制度を特徴づけたからである。さらに軍国主義下で衛生行政(特に保健婦による産後ケア)が拡大し、折からの市町村行政の総合化と連関した結果、戦後のマルチレベル政府における日本型福祉国家の基礎が構築されたことも隣接分野の知見を手がかりに明示した。 次に制度的逸脱事例として沖縄の戦前戦後医療制度史を探索した。戦前の沖縄は「少数の医師が自由診療を実施」していた戦前日本の典型であった。その結果、都市中流層の少ない沖縄で開業医制が発達しないまま沖縄戦に突入し、医療制度の壊滅を経験した。戦後の制度復興は供給の回復自体を優先し、他県では見られない公的医療機関主導の供給体制形成が行われた結果、現在の公立病院を中心とした同心円状の医療供給体制が構築された。つまり沖縄の医療制度自体が経路依存による公共政策の結果であることを明らかにした。 本研究以前から蓄積していた戦後および高度成長期の医療制度変容の知見と総合した結果、供給体制の構築は偶発的な要素に依拠していること、また軍国主義的制度が「若い」うちに新たな国家体制の中で再配置されると高い可塑性を持って変容しうること、基礎自治体が福祉政策の供給主体であったことが早期の皆保険化の前提となったことなどユニークな論点を明らかに出来たことが本研究の成果である。
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