研究課題/領域番号 |
24530165
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松本 邦彦 山形大学, 人文学部, 准教授 (40241682)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 多文化主義 / 植民地 / 外国人 / コリアン / 戦時動員 / 内鮮融和 / 協和会 / 同化 |
研究概要 |
◇戦前日本の統合政策および排外主義的な言論の収集から判明したこと 戦前には「多文化共生」政策の戦前版とも言える「内鮮融和」事業が在日コリアンを対象におこなわれた。そこでの統合の「軸」には、貧困救済としての社会福祉的な側面と、生活習慣や言語における朝鮮文化の排除と日本化、日本への政治的な支持という三側面があった。日本人に異文化理解を促し、キムチとお茶の共存を良しとする主張はごく一部にあったものの、大多数は一方的な日本化をコリアンに要求した。さらにコリアンは戦時募金や奉仕活動、国旗掲揚で「皇国臣民」化(皇民化)ぶりを日本人に訴えさせられたが、ここではコリアンは日本人以上の日本人らしさを誇ることができたとも言える。 また、統合政策の先行事例としての諸外国の事例については、日本の植民地政策の担当者や植民地政策研究者への影響を主として資料収集した。特に当局者は文明的な支配を朝鮮におこなうことで、欧米列強から批判されることがないよう気を遣っていた。現代日本では「嫌韓流」が日本の朝鮮支配が文明的だったと強調しているが、その主張は当時からのものだったのである。しかし上記の「皇民化」運動が1938年の南次郎総督時代の植民地朝鮮で生まれ、本土に波及した際には、それまでの対英米協調主義に対する反感を伴っていた。この転換の前兆となったのが、三一独立運動後に朝鮮総督として文化政治をおこなった斎藤実が1936年の二・二六事件で暗殺されたことである。 ◇優生学との関わりについて 生物学的な統合策についての言論について知るべく、優生学関係や厚生省による人口政策の資料を収集した。日本民族の雑種性、内鮮同祖同根論によって内鮮融和が可能だと主張される一方で、内鮮結婚の増加は難問だった。また、貧困、粗悪な食生活のなかでコリアンが身体的能力では日本人を凌駕していること(実例:ベルリン五輪マラソン)への危惧もあった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
現代日本におけるネットと映像にも着目した保守的な言論でのイメージの把握もおこなったが、系統的な収集は不十分であった。こちらについては今期の戦後日本における言論の収集で補完していきたい。 また、昨年(2012年)4月までの資料収集にもとづいて、現代日本の言論状況については、下記の論文を発表しているが、戦時下の内鮮融和事業についてのまとめ、公表が遅れている。 「多文化共生論と歴史認識:「嫌韓流」の挑戦を考察する」 『北東アジア地域研究』18号(023-033頁)2012年10月
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今後の研究の推進方策 |
第一年度の資料収集によって、内鮮融和事業を主導した人々の一部が戦後も韓国・朝鮮問題の評論家として、または反共主義者として活動をしていることがわかった。そうした人々が自らの戦前体験をどう総括し(または総括せずに)、朝鮮学校や北朝鮮「帰国」船、指紋押捺問題などについてどう主張してきたかに注目していきたい。また、それら“専門家”とは別に、日本人知識人、政治家の言論にも注目する。 さらに多文化共生施策についての具体的な調査に入っていく。申請段階では具体的な調査地域としては山形県最上地方、長野県飯田市、東京都新宿区の三箇所を想定していたが、戦前に最もコリアンが集住し、内鮮融和事業でも注目されたのは大阪であったこと、いわゆる「橋下体制」のもとで朝鮮学校との対応が注目されていることもあるため、オールド・カマー中心の地域としては大阪市を第一候補におき、夏までに地域の選定をおこなう。
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次年度の研究費の使用計画 |
該当なし。
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